
赤澤さんは、神奈川県川崎市のサラリーマン家庭に生まれた。在家の出身である。母方の祖父母が敬虔な日蓮宗信者で、日頃から仏壇に手を合わせる姿を見ながら育った。
祖父母の影響を強く受けた赤澤さんは、早くから仏教や僧侶に興味を抱き始めた。中学3年生の時、日蓮宗の総本山・身延山久遠寺に参る機会を得た。その時、「僧侶になれという暗示を受けた」ことで、仏道に入る決心をする。
一時は両親に反対されたが赤澤さんの決意は固く、宗門の身延山高校仏教コースに進学。同コースは一般人にも門戸が開かれているが、ほとんどが寺の子弟で、彼らは自坊の後継者として入学してくる。赤澤さんは、そうした「生まれながらのお坊さん」と共に、仏教や宗門の基礎的知識や作法などを体得していくため、厳しい修行生活を開始する。
高校卒業後は宗門の立正大学進学と同時に東京都・日暮里の善性寺に随身(※1)として住み込み、20歳で35日間の信行道場を成満(※2)。晴れて日蓮宗僧侶の資格を得た。26歳の時には100日間の荒行を達成した。
※1 ずいしん=住職を補佐する役割の僧侶。
※2 じょうまん=修行を達成すること。
赤澤さんは在家の出ではあったが、脇目も振らず、宗門のエリートコースを無駄なく、着実に歩んできた。
しかし、赤澤さんが「住職」になるには高いハードルがあった。世襲できる寺院を持たないからだ。自坊を持たない僧侶が住職になるには、ツテをたどって空き寺(無住寺院)を見つけるしかない。ところが、大抵の空き寺は僻地にあって、檀家も少なく、仮にそこに入っても食べていくのは難しい。
あるいは、どこかの寺の養子に入ったり、大きな寺院の職員として雇われたりして経験を積み、将来的に住職に昇格する手段もあるにはあるが、時間と忍耐、そして何より「縁」が必要だ。
だったら、一から自分で寺をつくりたい――。
そう考え始めた赤澤さんの背中をタイミングよく押したのは、当時できたばかりの宗門の開教制度だった。開教とは、新たに寺をつくり、布教の拠点にすることを意味する。
開教は日蓮宗以外の他宗でも近年、積極的に取り組んでいる。まず浄土真宗が早くから開教制度を整備し、1990年代半ば以降には浄土宗や日蓮宗などが続いた。
仏教界が開教を推し進めようとする背景には、地方から都市への人の移動、核家族化などの社会構造の変化がある。つまり、各教団は現代の日本の人口分布に合わせ、寺院を再配置する必要に迫られている訳だ。
理論的に考えれば過疎地にある寺は、人の多い都市部へと、戦略的に移転させることが理想的だろう。だが、伝統仏教の場合、そうしたことはできない。各寺院はそれぞれが宗教法人格を有しており、宗本部とて移転させる権限はない。寺院の移転ともなれば、檀家が置き去りになりかねない。つまり全国に散らばる寺をパズルのように組み替えて、再配置することは極めて難しいのだ。
この、いびつな寺院分布を是正する唯一の方策として、「開教」がある。
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