隠遁生活を始めてからというもの、健康状態は悪化していくばかり。
そして、それ以上に精神は乱れ、いよいよ不安定になっていく。
ついには、隠遁生活をやめてパリへ戻るよう、医者に説得される始末だ。

なぜだろう。
自分の趣味を全面開花させて、それに浸って暮らしている、そんなにもやりたいほうだいの生き方なのに、何が彼を苦しめるのだろう。

病んでいくデ・ゼッサントの本当の望み

実は、趣味に浸って生きることなど、彼の本当の望みではないのだ。
彼が最も強く求めているもの、それは、精神的なもの、超越的なものであり、具体的に言えばカトリック的なものだ。

デ・ゼッサントは、そんな自分の本当の望みを、実は、自覚している。人間嫌いで傲慢で悪魔主義的な趣味に浸りながら、彼は本心ではカトリック信者として生きていきたいのである。

だが、できない、と彼は血を吐く思いで断念する。何しろ科学の時代だ。自分の知性や性格からして、カトリックの教義を本気で信じるなど、自分にはとうていできないと思う。

それで本当の望みは胸の奥にしまって忘れるように努め、彼は資産と暇にまかせて中世カトリックふうの気分を醸し出す神秘的な趣味に走る。外界のノイズを遮断して、ちょうど僧院に籠もるカトリックの修道僧のように。

だが趣味は、どれほど徹底しようと趣味だ。
本物ではない。甘く、ぬるく、不徹底な、代替物に過ぎない。
そして、心の奥底では代替物に満足できず、本物を求めて煩悶する。

でも、どうしろって言うんだ? 私は、本当の信仰など持てる人間ではない!
前進もできなければ完全撤退もできない、中途半端で宙ぶらりんの気分のまま、彼の心身は弱っていくのである。

病んだデ・ゼッサントは、療養のためパリへ、現代の生活へ、俗世間へと帰っていく。そうしなければ、生命も危ぶまれると医者が言うのだ。『さかしま』は、こうして主人公の悲鳴、絶叫で幕を閉じる。

主よ、疑いを抱くキリスト教徒を憐れみたまえ、信じようと欲して信じられない信仰者を憐れみたまえ。古い希望の慰めの光ももはや照らさぬ大空の下を、たった一人で、夜のなかに舟出していく人生の罪囚を憐れみたまえ!

他人事ではない、自滅の物語

『さかしま』は、人工楽園やデカダンスを魅力的に描いた作品ではない。まったく違う。
主人公はドタバタと見苦しく動き回り、記憶や沸き立つ思いにかき乱されて、少しも幸福ではない。
彼は、金と暇と教養にまかせて好きなように振る舞いながら、実際は、身も心もボロボロになるまでみずからを痛めつけていく。
これは破滅の物語、愚か者の自滅の物語だ。

破滅の原因はわかっている。
自分が心の底で望んでいることを、しかし、決してやろうとしないから。
その代わりに、趣味として、簡易的に、浅く、不徹底に手を染めるから。
そうやって、自分をごまかそうとしているから。

自分の本当の希望を押し隠し、どこまでも自己欺瞞の世界に浸って生きようとする男に、安らぎの日々など来るわけがない。

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