この詭弁に似た欲望の屈折、知性の世界における巧妙な詐欺行為を利用しさえすれば、物質世界におけると同じく容易に、あらゆる点からみて本物と変らぬ幻想の悦楽を味わい得るであろうことは、疑いを容れない。
〔中略〕
 要はただ、いかに振舞い、いかにして精神を一点に集中するかにある。幻覚を生ぜしめ、現実そのものに現実の夢を代置し得るまでに、一事に没頭するには、いかにすればよいかにある。
 かくてデ・ゼッサントの眼には、人工こそ人間の天才の標識と思われたのであった。

こうしてさまざまな仕掛けを施し、自分の趣味で埋め尽くされた屋敷の中で、デ・ゼッサントは好みの絵画や書物(それらはどれも、この世ならぬ境地へ誘ってくれる、超越的な、神秘的な、あるいは幻想的な作品だ)とともに時間を過ごす。これが、デ・ゼッサントの「人工楽園」だ。

この「ヴァーチャル志向」は、今となっては、さほど奇異な印象は受けない。というより、誰でも素直に憧れてしまいそうだ。しかし、この小説が発表された19世紀末当時の読者にとっては、何とも妖しい、そしてあまりにも不健康な欲望のように思われたに違いない。

しかし、デ・ゼッサントは病んでいく

さて、しかし、問題は幸福かどうかだ。
こうして暮らすデ・ゼッサントは、いったい、満足しているのか?

最初は、そう思われた。
ところが、結局は、違ったのである。

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