全5492文字

 たとえば、親の変化だ。元気だと思っていた親が脳梗塞で、ある日突然、介護が必要になったり、100歳まで生きそうだと思っていた親が、「ちょっと胃が痛い」と病院に行ったらガンが見つかり、余命を宣告されたり。いつもどおり買い物に出かけた親が、「どこに帰っていいのかわからなくなった」と帰れなくなったり。「遂にきたか~」と、向き合わなくてはならない“変化”に直面する。

 頭ではわかっていても心がついてこない。他人のことだと冷静になれる。自分のことになると混乱する。

40代の進むべき道の輪郭が見えてこない

 その一方で、職場では淡々と時間が経過し、自分のやるべきこと、やらなければならないことが山積し、「もう一皮むけなければ、次がないぞ」と懸念と焦りを感じる日々が繰り返され……。

 自分でも気がつかないうちに、あんな行動をとってしまうのではないか?
いや、既にとっていやしないか?
と、アンチロールモデルが脳裏をよぎる。

 おまけに、彼女が「自律した素敵な女性になるぞ!」と言っていたように、「こうなりたい」自分は極めて抽象的。

 「それまでの人生を問い直し、再構築する分岐点」で、進むべき道の輪郭が見えてこない。

 以前、知り合いの編集者が、「50という年を目前にすると、何でも好きなことをやってしまえって気分になるんだよね。人生の逆算が始まるっていうのかな。やってみたかったクラシックギターを習って、この年で初めて合気道をやって……。あれこれやり出してちっとも整合性が取れないんだけど。もう、あれもこれもやってしまえ!と、やぶれかぶれな気分になるんだよ」と語っていたことがあったが、その気持ちが少しだけわかる。