※この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年9月29日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
「女性力の活用」が安倍政権の重要戦略として掲げられている。一方、男性中心の組織で働いてきた人の中には、職場での女性とのコミュニケーションに悩む向きもあるようだ。ライフスタイルの多様化に伴って、職場における女性同士の関係でも悩ましい事態が起きがちだともいわれる。
職場の人間関係で悩む人の相談に乗ることの多い精神科医の水島広子さんは、軋轢を生む原因の1つに、男か女かにかかわらず内面に持っている「女」の部分があると言う。
職場の人間関係を円滑にするコツを水島さんに聞いた。
水島広子(みずしま・ひろこ)氏精神科医。1968年生まれ、慶応義塾大学医学部卒業、同大学院修了(医学博士)。慶応義塾大学医学部精神神経科勤務を経て、対人関係療法専門クリニック院長。慶応義塾大学医学部非常勤講師(精神神経科)。2000年~2005年まで衆議院議員。近著に『
女子の人間関係』。
職場の人間関係で悩ましい例として耳にすることがあるのが、子育て中の女性とそうでない女性との軋轢です。残業している女性は、子育て中の女性に対して「自分だけさっさと帰ってずるい。私はこんなに忙しいのに」という感情が抑えられない時があるとか…。なぜそのような感情が起きてしまうのでしょう。
水島広子氏(以下、水島):原因の1つは男女の役割分担にあります。保育園のお迎えや、熱を出した時などの突発的なお迎えなどの子育ての役割を主に女性が担っているので、当然、仕事との両立が難しくなります。女性に負担が偏っているので、女性の間でライフスタイルの違いが際だって、それが女性の間に不満になって蓄積していきます。
男性がもっと子育てを負担するようになれば、男性の間でも同じような感情が出てくるでしょう(笑)。
女性の間のほうが「ずるい」という感情が出やすいとも言われますが。
「選ばれる性」という立場が背景に
水島:時代が変化しているとはいえ、伝統的に、また傾向として女性は選ばれる性だからです。かつての女性は、男性に選ばれることによって社会的地位が決まりました。それがその女性自身の価値と関連づけられてきました。
選ばれる、という立場でいると、どんな意識が形成されるのでしょう。
水島:女性が何人か集まれば、男性の間では「あの子がかわいい」「あの子と結婚したい」と、「選ばれる」状況になりますよね。女性は男性に選ばれるために、ほかの女性よりきれいでありたいと思ったり、ほかの女性の悪口を言って足を引っ張ったりという行動をとります。
悪口を言ったり他人の足を引っ張ったりするなど、女性にありがちと言われる嫌な部分を、私はかぎかっこをつけて「女」と呼んでいます。実は、こういった「女」は女性だけでなく男性の中にもあります。何かのポストを巡って誰が選ばれるか、という状況になった時に出てきます。そういう時は、男性でも自分の中の「女」が“めらめら”してしまうでしょう。
めらめらと燃え上がる「女」の感情はどうやったら抑えられるのでしょうか。
水島:誰かが選ばれたということは、自分は選ばれなかったということではなく、その人がその立場に向いているからであって、自分にはほかに向いているものがあるだろうと考えていくと楽になると思います。
選ばれる状況が作られれば、男性も女性も同じです。究極の「選ばれる場」は永田町でしょう。永田町では男性も女性も「私はあなたに嫉妬している」とは絶対に言わないんですよね。「小さい子がいるのに仕事をしているのはいかがなものか」「○×内閣の時に○○大臣をやった人が、また△△大臣になるのはいかがなものか」と、「いかがなものか」という正論的な言い方で自分の嫉妬を覆い隠すんです。
それはともかく、男性のほうが社会的地位にバラエティーがあっていろいろ出世コースがあります。女性は、社会的地位の高い人に選ばれて初めて高い地位に就けるという場合が多かったので、ある地位が自分以外の女性に取られそうになると、その人の足を引っ張って自分がそこに就かなければならない、と考える傾向があるのでしょう。女性は結婚によって身分が作られたという背景もあります。
現在の組織や社会に、女性が就くポジションが少ないということなのでしょうか。
水島:大臣の枠とか女性管理職の割合を考えると、確かにポジションの数も少ないでしょう。
ただ、私の先輩を見ていても、後輩の女性をもり立てようとする人と、足を引っ張ろうとする人と2つのタイプがあります。もり立てようとする人は「女」度が低くて、社会全体で女性の力をつけないと、と考える人が多いです。一方、足を引っ張ろうとする人は「私は女だから成功したわけではない、実力でここまできた。だからほかの女性だって実力でここまであがってくればいい」と言いながら実は足を引っ張っているという人ですね。
自分に自信がある人とか、選ばれることに人間の価値を置かない人は、周りをもり立てて社会全体でみんな元気にやろう、となりますが、選ばれて初めて人間の価値が出る、人から尊敬されると思っている人は、他人の足を引っ張ります。
それは、自分に自信がないということでしょうか。
水島:そうです。尺度を自分の外に置かなければいけないわけです。女性の尺度の1つとして「女性らしさ」がありますが、それは外的に定義できます。外見のほか、細やかで気が利くといったことです。実はそれは演じられることでもあり、私でさえ、1時間くらいだったら演じて見せます。
気を利かせ過ぎると相手は無力になってしまう
「細やかで気が利く」あるいは、共感する能力が高くてコミュニケーション能力に長けているという面は女性の長所とされ、組織でもその部分を発揮してほしいという場合も多いようです。
水島:買い物をしようと店に入ると、「何をお探しでしょうか」などと、ずっとついて回ってくる店員さんがいますね。自由にお店の中を回って好きなものを探したいのに、ちょっとある商品に目を向けると「こちらですか」と声をかけてくる。例えて言えば、女性の細やかさの究極の形がこれです。でも、うっとうしいと思いませんか。結局、相手の領域を侵害していて、相手の自由を奪っているわけですから。
女性のほうが、小さいころから「さすが女の子だね」と言われることで、こういった行動に出るトレーニングはされているでしょう。汗をかいている人がいたらさっとタオルやハンカチを差し出すとかです。当人が自分でやったり、誰かに明示的に頼む前に、そばにいる女性が気持ちを察して行動を起こすということです。
日本女性が世界的に好まれるのは、察することに長けているからでしょう。でも、先ほどの店員さんの話のように、本当は一人でそっとしておいてほしいのに、察し過ぎて余計なおせっかいをしている場合もあるのかもしれません。
相手の気持ちを察したり、気が利くことは悪いことではないと思うのですが、組織にとっては気が利き過ぎるのはマイナスになるということですか。
気が利き過ぎるのは誰かを無力化することでもあるのです。本来それぞれが責任を持ってやるべき仕事であるにもかかわらず、誰かが察して、その仕事をやってあげることで、かえって当人の力が落ちてしまう。仕事は自分の領域の中できちんとやって、ほかの人の領域まで踏み込まず、頼まれない限り気を利かせる必要はないと思います。
「気が利かない女(男)だ」と思われるのがいやだと考える人もいそうですが…。
水島:それはそうでしょうが、気が利く働き方をしてほしいなら、察してほしい部分を言語化して相手に伝えることが大事でしょう。
たとえば、取引先の重要人物との会食の場で気が利かないのは致命的です。そういう場合は、絶対に粗相がないよう、細やかにやってくれ、とはっきり指示を出せばいい。そういう気遣いを無言で女性に求めるのは良くありません。女性のくせに気が利かないと不満を言うような人は、的確な指示を出せていなかったということです。
先回りして何でもやってくれる人は便利でしょうが、先ほども言ったように、何でも察し過ぎると、相手を無能力者にしてしまいます。実話として聞いたのですが、国会議員が外国に行く場合は官僚たちがやたらと世話します。このせいで、飛行機の乗り方を知らない国会議員がいるらしいです。生命力がないですよね。
なぜ女性は「察してくれない」ことに怒るのか
一方、女性は男性に「私の気持ちを察してくれない」という感情を抱き、組織あるいは家庭内でトラブルの原因になることがあるようです。
水島:女性は自分が察する能力が高いので、察することができない男性はだめだということなんでしょう。女性は顔色を読ませたがります。ところが、男性ほど顔色を読むのが苦手な種族はいません。
女性はどれだけ気にかけてもらっているか、どれだけ自分の顔色を読んでくれるかと愛情を結びつけます。察してくれる度合いで愛情を測る。ところが、男性には相手の顔色を読む能力に問題があるだけで、察する能力と愛情とは直接結びつかないのです。ところが、女性は顔色を読んでくれないのは、私に愛情がないからだ、私は愛されていないと、いじけてしまいます。
組織でも察してほしいタイプの人は、「これだけがんばって仕事をしているのに誰も評価してくれない」と不満をため込む人がいます。部下をほめるように、という本もいっぱい出ていますよね。ほめてほしければ「ほめて」と自分から言えばいいんです。「ここで一声ほめていただけると、もっとがんばれるんです」「ほめられると伸びるタイプです」とか言っちゃえばいいんです。
水島:人には「自分の領域」と「他人の領域」という区別があるのですが、察するのが当然と考えてしまうと、その区別がつかなくなってしまいます。相手の「領域」を勝手に決めつけることはいけないですし、自分の「領域」のことは自分できちんと伝えなければ相手にわかってもらえません。
もっとも、上司と部下の関係に「逆転現象」が起きている場合は、積極的にほめたほうがいいでしょうね。上司と部下で年齢の逆転が起きた時とか、女性が男性チームのリーダーになった時などです。むしろほめるのがポイントで「さすが○×さんがいてくれるおかげで私は安心して仕事ができます」とかです。ほめるというのは相手を尊重しているということですから。
職場の人間関係の悩みとして、女性上司より男性上司のほうが仕事がしやすいということも聞かれます。
部下と上司の間で疲弊する30代女性
水島:女性のほうが感情的になりやすく仕事がしにくい、という話ですね。でも、男性だって感情的になりやすい面もあって、駅員とトラブルを起こすのはたいてい男性だというではないですか。
上司としてふさわしくないのは性別としての女性ではなく、先ほど言った「女」の部分が出る人です。派閥をつくったり敵味方を分けたりする人です。
男性上司の場合、女性部下に甘えているところがあると思います。何でもやってもらえると思っているし、自分のちょっとしたミスはかぶってくれると思っている。なんだか、結局は後始末をしてくれるお母さんみたいな役割を期待しているような感じです。
同期の男性で、年齢は上だった人がいたのですが、ある日、白衣のボタンが取れたからつけてくれないかな、と言ってきたんです。断ったら「いいじゃない、ボタン1個くらい」と言う。周囲で見ている男性も「いいじゃない、ボタンの1つくらいつけてやれば」と言い出したんですが、ここは絶対譲ってはいけないと思って、「縫い方教えてあげるから、自分でやってみて」と言って教えました。「ボタン1つくらい」が、「コピー1枚くらい」「お茶1杯くらい」に発展するように思ったからです。
今、30代くらいの女性が一番疲弊していると言います。若い部下はなっていなくて面倒を見ないといけないし、上司のおじさんたちが「散らかしていった」ものを片付けなきゃいけない。最後の面倒を見るのはいつも自分だと。これは、仕事の面でも、オフィスの掃除や消灯といったことでも同じだそうです。これも甘えですね。
もちろん、そういうことが好きな人もいます。職場はきれいなほうがいいと、好きで掃除をするならいいんです。でも我慢してやっている場合はその対価が必要です。そういう時の対価の1つにほめるということもあるでしょう。
女性が昇進して、男性や同期の女性らとうまくやっていくにはどうしたらいいでしょう。
水島:先に昇進した女性が真っ先にやるとよいことは、「女」を捨てることですね。「女」度をゼロにするんです。よくある間違いが「今回は私のほうがちょっと運が良かっただけで、大丈夫よ、あなたも昇進できるから」と言うことです。これは“お母さん病”とでも言うのか、私は職場のことは何でも知っているとでも言いたいのか。むしろ、余計なことは言わず、「書類はここに置いてください」「私は朝遅めですが、よろしく」とか、事務的なことを言えばいいのでは。自分が先に昇進したことに焦点を当てず、あなたと一緒に働けてうれしい、ということを言えばいいと思います。
昇進した女性は、友達が減って、孤独になるという話も聞きます。
水島:それが昇進に伴うきわめて典型的な変化だと考えることです。管理職になったら仕事を家に持ち帰るくらい忙しくなるでしょうから、無理に“女子会”をやらなくて済む分、仕事の時間ができて良かったとか。あるいは「昇進したら誰も誘ってくれなくなっちゃった」と、冗談っぽくいじけて見せるのも笑いを誘います。
女性ならではの苦労は周囲に見せた方がいい
一方、女性がオヤジ化しているとも言われます。
水島:権力志向という意味でオヤジ化したと言うのであれば、そういう女性を私は「名誉男性」と呼んでいます。本来“差別”される側に所属しているのに反対に“差別”している人たち。“差別”する側にうまく取り込まれている人ですね。「私は女性であることで1度も苦労したことありません」と言うような例です。
女性ならではの苦労はあると思うのです。男女共同参画を進めるという意味では苦労はしたほうがいいし、苦労をしたなら、それは周囲に見せたほうがいいと思います。
苦労した女性に対しては、女性はやさしいですよ。子供が熱を出して帰らないといけない、ごめんね、という場合も、その時点だけで考えれば「私にこんなに仕事を押しつけて」と思うでしょうが、もうちょっとお互いの人生を知り合うようになると変わってきます。相手の苦労を理解できるようにもなります。
自分に仕事を押しつけてずるい、という思いだけでなく、夜中も熱を出したり、発作を起こしたりして子育てって大変なんだな、と思って相手を慮ることができるようになることもあるでしょう。もっとも、尊重できる人でないとその苦労を理解することも難しいかもしれませんが…。
子育てだけでなく、介護や病気など、男女ともにライフスタイルが多様化すると、仕事だけでなく、人生のさまざまな苦労を臆することなく話せる組織作りが大事になるでしょうね。
水島:「うまくやっている」と見られようとせず、不器用にやればいいと思います。「あの子ばっかり先に帰ってずるい」と思ったとしても、自身が同じような苦労に直面したら、「これがあの人の言っていたことか」と思えるようになるのです。
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