安西:空手では日本語をそのまま使うでしょう。それをどう理解するか、文脈によってずいぶん誤差が出そうですが。

空手普及のために様々なイベントで演武

後藤:「押忍」という言葉には様々な意味が含まれているのですが、最近では「尊敬、感謝、忍耐」の意味と説明します。これは入門者に最初に教える言葉ですが、この意味がなかなか理解出来ない。OSUにはYES,HELLO,THANK YOU, GOOG BYEなど多くの意味があり、言い方によってはNOにもなると説明します。アメリカ人にとってはジョークのような話です。

安西:YESでNOという非論理的世界だ、と(笑)

後藤:日本では先生や先輩に言われたことに対してノーとは言えず、とりあえず「押忍」が基本です。しかし、アメリカ人も長い間稽古しているとそのニュアンスが理解できるようになってくる。そうすると、日本人には「OSU」と言えば何でも通じると勘違いする人もいるので、普通の日本人には言わないようにと注意します(笑)。

安西:あまり空手だけで日本をみるな、と。

後藤:日本の上下関係は道場の外でも同じなんですが、アメリカではその意識でいると道場外での人間関係が作れません。そのため指導側の人間としては、道場の中と外でONとOFFの切り替えに気をつけないといけないですね。

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 派手な動きにカッコよさへの憧れもあるものの、空手は精神性を高めるスポーツとして考えられている。空手のブランド力の強さに改めて感心した。日本人が西洋音楽でヨーロッパの精神に接しようとするのと同じように、空手が日本の文化の神髄を知る窓口とアメリカ人に考えられている。

 それゆえに、こちらが「分かってください」とお願いするのではなく、相手が「分かりたい」とくる。したがって「押忍」をはじめ基本的な単語は日本語のまま使い、「言葉の反芻」と「文脈」で理解を迫っていく。相手に意欲があるなら、その方法で押していける。

 それでも日本の流儀はそのまま米国で通じない。上下関係や組手のパートナーの選び方まで、ローカライズが求められる。流儀は精神の表現であるとして「精神性」を重視する分野は、流儀を変えることに消極的である。正統の維持が大事だからだ。その「正統性」が米国人にはミステリアスな部分が多く、論理的な説明を求め指導員は質問攻めにあうのだろう。

 しかし一方、ミステリアスなものほど全てを受け入れると覚悟を決めるのも人の一般的な傾向である。類似や近接な対象ほど批判的になる。一見して合理的であるようで意味不明な点が目につくより、その逆のほうが受容を促しやすいかもしれない。その境界線を空手の事例は見せてくれているのではないだろうか。

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