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※この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年8月5日に掲載したものを再編集して転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。

 「よっし! 新天地で、心機一転、がんばろう!」

 不本意な異動であっても、“それはそれ”と受け止め、前向きに捉える。

「どうせ、片道切符だから」
「どうせ、ラインはずされちゃったから」

 とグレるのではなく、もうひと踏ん張りがんばろうと、自らを奮い立たせ、いざ出陣!

 ところが………。その新天地にいる人たちが、全員、まったくやる気のない人だらけ―――。

 「最初は、どうにかしようって、あれこれ試してみたんですが、ダメですね。そんなわけで、私…、心療内科に通ってます」

 こう切り出したのは、某大手企業に勤めていた50代の男性である。
 彼は昨年、系列会社に出向になった。役職定年して、1年後の出来事だった。

 え? 心療内科に、“ダレ”が通っているって?
 はい。「がんばろう!」とやる気満々だった、ご本人、です。

 「自分が心療内科にお世話になるなんて、想像したこともなかった」と、肩を落とす彼を疲弊させた、ストレス豪雨の正体は?

 とまぁ、ずいぶんともったいぶった書き出しになってしまったのだが、この男性のケースはいろんな意味で考えさせられたし、私自身も反省させられたので、今回は、彼とのやり取りを紹介しようと思う。

出向は「リセットできるチャンス」と思ったけれど…

 テーマは――。とにかく、お聞きください。

 「辞令が出た時には、やはりショックでした。ただ、役職定年になってからというもの、私には明確な仕事がなかった。そんなときに人事から呼ばれ、“営業を強化したいので、これまでの経験を生かしてください” と、関連会社に異動になりました」

 「おそらく実際には、“もう、うちの会社にはアナタの居場所はありません”ということを伝えるための人事だったんだとは思います。だから、正直、遂に来たか、って思いました」

 「ショックだったのは、居場所がないことが、限りなくグレーに近い黒から真っ黒になったことですか? それとも誰もが知ってる一流企業から、無名の関連会社に行かされたことですか?」(河合)

 「両方です。一流ではありませんけど、少なくとも誰もが知ってる会社の社員ではなくなった時、世間は今と同じように自分を見てくれるかって不安はありました。多分、サラリーマンなら誰でも、そういう不安ってあるんじゃないでしょうか。でも、こういう時が来るというのは、役職定年になったときに覚悟していたので、むしろ、前向きに思えたことのほうが大きかった」

 「なんだかんだいっても、ラインを外れた50代に仕事はありません。ただ、1つだけ言わせてもらいたいのは、世間は働いてもないのに高い給料もらってるって非難しますけど、当事者たちにも葛藤はある。多くの50代は、まだ子どもの学費が必要だったり、娘がいれば結婚式もある。それぞれいろんな事情があるんです。私も、転職を考えたこともありました。でも、現実はそんなに単純ではない。その葛藤を抱えながら、“お荷物”と揶揄される役職定年を受け入れるんです」