※この記事は日経ビジネスオンラインに、2011年10月12日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
私のある男性の友人は、中国の残留孤児2世で日本のパスポートを持っているが日本語をほとんど話せない。40代で、3歳と1歳の可愛い盛りの2人の娘がいる。
その友人が少々深刻な顔をして言う。「大きい娘がいまだほとんど言葉を話さないんだ…」。奥さんも中国人で日本語を話せない。家庭内で話す言葉は中国語。日本には、日本語を使わずに済むくらいのしっかりした華人コミュニティがあり、仕事も困らない。しかしテレビや周囲の環境には日本語があふれている。周囲の大人たち、子供たちも日本語を話す。おそらく、それで言葉が遅いのだろう。
「まだ3歳なんだから気にすることないよ」と慰める。その娘は子供服のモデルになってもいいくらい愛らしい顔立ちで、私と目が合うと、何か言いたげに口を開けるのだが、言葉にならない。この小さな頭に、きっと何か表現したいことがあるのだろう。けれど、伝える言葉が見つからず、もどかしくなって口を閉じてしまうようだ。
英語、中国語、日本語を同時に勉強
別の友人夫婦は日本人男性と中国人女性のカップル。家庭内言語は日本語だが、母親としては中国語もネイティブ並みになって欲しいという。大人になって中国人として生きるか日本人として生きるか、きちんと選択肢を残してやりたい。やはり2歳半の娘に「お箸、クワイズ」「ネコ、マオ」…と、日本語と中国語の両方を詰め込むのに必死だ。
米国籍を取った中国人と日本人のカップルの子供となると、なおややこしい。英語、中国語、日本語を同時に勉強している。
母語は英語にさせたい。英語こそが国際言語だからだ。だが、両親とも英語ネイティブでない。子供自身が好きなテレビもマンガも日本語だ。気がつけば日本語が一番うまくなっていたが、日本語を母語にする選択肢は考えていないという。日本人の76%が中国が嫌いだと言っているような国で、中国人の血を引くわが子が幸せになれるのか、やはり米国人になるのがベストだ、と。
そういう話を次から次へと聞くと、国際結婚や外国人が日本で暮らすということの一番の課題は子供の教育、言語教育なのだなあ、と感じる。今回は、いつものコラムとは毛色を少々変えて、外国語を学ぶということについて、考えてみたい。
いざとなれば何とかなるもの
私自身は、外国語があまり得意ではなく、英語には根強い苦手意識がある。中国語も30歳を過ぎてから、いきなり当時所属していた新聞社の業務命令で上海の復旦大学に語学留学させられ、1年で何とか仕事に耐える程度に急ぎ習得したものだから実にいい加減なものである。
年齢が高いと語学の習得は難しくなるそうだが、同時に向き不向き、センスというものが絶対あるだろう。そういう意味で私は特にセンス、中でも言葉を音でとらえるセンスがない。
しかしながら、仕事で何が何でも英語を使わねばならない取材せねばならない、という状況になれば何とかなるもので、7ワード以上の文は話せない幼稚園児のような英語でも、香港支局長時代はフィリピンなど英語圏の取材をカバーした。フィリピンのアロヨ大統領(当時)のインタビューもしたし、アブサヤフやモロ・イスラム解放戦線(MILF)といったイスラム原理主義組織の幹部を取材したりもした。
会話は半分聞きとれれば何とか続くし、相手の言っていることは録音に取り、分かるまで聞き、聞きとれた部分だけを記事にした。
よくやったのは現地紙記者に通訳をしてもらうことである。英語-日本語の通訳ではなく、難しい英語やタガログ語、スペイン語を簡単な英語に変換してもらう通訳である。ゆっくり文節を区切るように話してもらえば、聞き取れる。記者同士なので、取材のツボも心得ており、私がうまく言えないことも、さっさと通訳してくれた。
異教徒は生きて出て来られないと言われたイスラム原理主義者の家の門をくぐってなお私が健在なのは、英語があまりにダメな私のために、フィリピン人記者が同行してくれたおかげという怪我の功名みたいなものだった。英語が中途半端にできる記者であれば、気難しいゲリラの怒りに触れていたかもしれない。
フィリピンという大雑把な国ゆえに通用した荒っぽい取材のやり方かもしれないが、こういう経験を通じて思ったのは、英語を道具だとするなら、切れない包丁なら切れないなりに、付け焼き刃したりして、何とか使いようもある、ということだった。
それより、日本の読者のために日本語で記事を書く以上、日本語でモノを考える。日本語の思考力や文章力の高い方が、良い取材や良い記事につながる。インタビューでは言葉のうまい下手よりも、何をどう聞くか、どう情報を引き出すかの方が重要で、それを考えるのは日本語の思考だった。
母語レベルの低い人に翻訳の仕事はできない
中国語小説などを日本語にする翻訳家の友人に聞けば、翻訳の仕事で一番重要なのは訳出するアウトプット言語のレベルの高さだそうだ。だから、一般に母語を訳出言語にする。日本人翻訳家は中国語作品を日本語に訳し、中国人翻訳家は日本語を中国語に訳出する。友人翻訳家ははっきりと「母語のレベルの低い人に翻訳の仕事はできない」と言う。
彼女も幼い子供を持つ母親だが、世間ではやる幼児期の英語や外国語教育には興味がなく、むしろ幼児の外国語教育は母語の発達の妨げになると考えているようだ。その根拠として、中国人で素晴らしい日本語を操る人、日本語で美しい文章も書けるような人はだいたい大学在学中か卒業後に日本に留学に来た人で、母語レベルが非常に高い人だ、という。
そう言って彼女が例に挙げるのは、在日の中国人紀行作家の毛丹青さんだ。確かに彼が日本語を習得したのは北京大学を卒業して何年か働いた後に日本留学してからだった。毛さんの日本的な端正な文章表現と日本人が見逃すような中国人の目から日本を見た新鮮な視点や感性がにじむエッセイや紀行文はファンが多い。私も大好きである。毛さんは中国語の随筆も発表しているが、中国語の文章は日本語で書く時以上にユーモアや余韻のある素晴らしいものである。
当たり前といえば当たり前だが、外国語で書く文章がうまい人は母語で書く文章はもっとうまい。いかに語学が堪能な人でも非母語は母語のレベル以上にいかないのだ。ならば、外国語を高いレベルで習得するためには母語のレベルをまず上げなくてはならない、だから幼児期に外国語を学ばせる時間があるなら、美しい日本語の文章をたくさん読ませたい、というのが友人の意見である。
実は友人翻訳家の言ったことと同様の話を前にも聞いたことがある。
元台湾人で日本国籍を取得した評論家の金美齢さんが、ご自身の子育ての中で、母語・日本語を大切にするという教育方針を持っていたとおっしゃっていた。金さん自身は、台湾が持つ複雑な歴史のため、幼少期は台湾語、小学校では日本語、中学になって中国語が公用語だった。大学は日本に留学したものの英文学を専攻し長らく英語講師の仕事をしていた。
その経験を踏まえて「私の世代はどの言葉も中途半端な人が多い。幾つもの言語を同時に習得すると中途半端になる」と語っていた。
言語のレベルは思考のレベルと比例する。子供のころから複数の語学を同時にやっていれば、確かに一見、美しい発音で流暢に言葉を操るように見えても、思考が浅ければ、言葉に中身がなくなるだろう。中途半端な言語を幾つも習得することは、切れぬ包丁を何本も持つようなもどかしいもので、優れた母語の包丁を1本持つ方が、優れた思考を料理できるのは当然だ、と。
日本語は柔軟で寛容な言葉
日本語というのはきちんと鍛えればなかなか、切れ味鋭い言語だ。
日本語は狭い日本内だけでしか使われておらず、国際言語に程遠く、英語などと比べると使い勝手が悪いと思う人がいるかもしれない。確かに日本語というのは、かなり複雑で、母語とする日本人からみても敬語などの完璧な習得は難しい。しかし、ひらがな、カタカナの表音文字が2種類、そして漢字という表意文字があり、これらを駆使すれば西洋であれ東洋であれ、外国の抽象的な概念や未知の思想も日本語にかなり的確に翻訳できる。
擬態語、擬音語が豊かで、語尾を変えるだけで男言葉や女言葉の変化が可能。敬語があり、ダブルミーニングや掛詞も豊富。外来語の多さなどを考えると、実に柔軟で寛容な言語と言っていいのではないか。そういう言語で磨かれる思考というのも柔軟で寛容なものになると思うのだが。
日本のような小さな島国でも国際結婚や移民が増えてきた。バイリンガル、トライリンガルが当然の時代になると言われ、最低でも英語ができて当たり前の時代がきているというという人もいる。
それは一面正しいのだが、国際社会を渡っていく上で、言語以上に重要なのが、高いレベルの母語に支えられたアイデンティティ、ナショナリティといったものだろう。自分の頭の中にあることを、きちんと言葉に表現する、文章に書くことは喜びである。それができて、初めて自分が何者であるか分かるのだから。
子供にネイティブ並みの英語やネイティブ並みの中国語を学ばせる努力もいいのだが、せっかく素晴らしく切れ味のよい言語、日本語を母語にする機会があるのなら、まずこれを徹底的に磨いてから、次の言葉に取りかかってもよいだろう。
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