本記事は2009年1月23日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

小田嶋:岡が作るCMを見て、俺は家族について否応なく考えたんだけど(「テレビCM」と「家族」と「フッキング」と 参照)、家族って役割だったりするじゃない? 

:役割だよね。

小田嶋:家庭とは、その役割をロールプレイみたいにやっている場所で、その中の自分の役が、何か最後まで自分の性格になっちゃうところがちょっとあるよね。ただ、岡のCM作品に登場する家族って、すごく芝居の下手な人たちが多い。下手というか、セリフ棒読みの人たち。あれはもちろん意図しているんだろうけど。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

クリエイティブディレクター 岡 康道氏 (写真:大槻 純一、撮影協力:「Cafe 杏奴」※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています)

:芝居が下手なのではなくて、言葉と科白が浮き上がるよう演じてもらっている。そこはディレクターの感覚も入っているかもしれない。でも僕としては映画的なものよりも、演劇的な時間を作ろうとしていることは確かだと思う。

 というのは、広告の場合、多くは、やっぱりどこかで見たことがある人や、あるいは名前もよく知っている人が演じることになる。だから、もともとリアリティというものが欠如していて、ドキュメンタリーとはまったく違う作りにならざるを得ない。その中で一義的なリアルを出すということは、ある種虚しいことであって、それよりも演劇的に処理することによって、作中の言葉が一般化するというか、そういうことは考えているんだよ。

人は役割を得てパパになる

小田嶋:ずいぶん昔のことだけど、岡が電通に入って、クリエイティブに移って間もないころ、有名人にもたれかかったCMをとても嫌っていたのを覚えているよ。まあ、そういう立場になかっただけかもしれないけど。

:あはは。そうだったかもしれない。

小田嶋:俺は岡の言う通りだと思ったんだけど、でも、有名な人を出せるようになっても、岡のCMは、それらしいことは言わせていないよね。つまりタレントの既定キャラにないことをCMでやらせるわけだけど、それこそが役柄だと思うんだ。でさ、我々が家庭のパパをやっていることも、やっぱり役なんじゃないの、と思うわけだよ。

:そりゃそうでしょう。

小田嶋:だって俺たちはパパに生まれつくわけでも何でもない。ただ、子供が生まれてパパという役柄を与えられました、という話であって、俺なんかいつまでたっても、すごい自分が芝居してるな、って思うんだけど。

:会社での暮らしというのも「役」だよね。ただ役割をはぎ取ったときに、生身の自分というものが一体どういう形をしているのか。とてつもなく醜いのか、意外と可愛らしいのか。これはまた難しい。

小田嶋:難しいところだね。

お題がないと立ち尽くしてしまうんですよね(「創作」と「違和感」と「思春期」と 参照)。

:だから、それ、俺たちにはないんじゃないかな。

小田嶋:実はないのかもしれない。

:とはいえ、いくつかの役の合計が個というものだし、人生というものになるわけだから、はぎ取ってもしょうがないな、という感じもする。

他人にシャイと思われると、内気を演じてしまう

それは今、流行りの「自分探し」の逆ですね。

小田嶋:自分探し、なんて言っちゃうと、ケロイド状のものがだーっと表面に出てきちゃうからやめて。ね。

:自分なんか探しちゃいけないんだよ。だって今が嫌だったら、違う役をやればいいだけの話なんだからさ。

小田嶋:高校デビューとか大学デビューとか、いろいろな言い方があるよね。高校のクラスで俺はこういう役柄だったけど、大学に入って違うシチュエーションに置かれたら、俺ってすごく別な人になっているな、ということはあったよね。

:あったあった。

小田嶋:結局、社会って役割のシステムみたいなところがあるから、社会的に与えられた役柄に逆らえない。「こいつはシャイなやつだ」と周りに思い込まれちゃうと、「えっ、俺ってシャイと思われてる?」みたいなことで、どんどんシャイになっていく俺、みたいなことはあったよ。

:シャイな小田嶋ね・・・・・・。

コラムニスト 小田嶋隆氏

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:実は昔、塾に通っていた時代があって、そこで初めの自己紹介のときに、ちょっと口ごもっちゃったのね。口ごもるタイプの子供では全然なかったんだけど、近所ではちょっと珍しい塾に、1学年年下で入っちゃったもんだから、少し気後れして。で、口ごもった瞬間に、みんなから「あいつはシャイなやつだ」という視線を浴びて、以来そこの塾に行くと、もう自分がシャイモードに変換されちゃって。それで高校に入ってから、塾で一緒だったやつが1年先輩にいたの。野球部のオオミヤさん。

:オオミヤさん、いたねえ。

小田嶋:そのオオミヤさんは俺のことを、ものすごくシャイで、話しかけると真っ赤になるおとなしいやつ、と思い込んでいたのよ。

:あり得ないだろ。

小田嶋:大学で偶然、オオミヤさんに会ったことがあって、「あれ? 小田嶋じゃないか」と話しかけられた途端に、俺、急にまたシャイなやつになってさ(笑)。

:バカだな。

小田嶋:だからね、自分でも不思議なもんだと思って。役割の感覚って、そういう伝染力があるよ。

:人はともかく何かの役割を演じているわけだけど、その演じている役割を喜んでくれる人が近くにいると、安心して役に没頭できるんでしょう。だから教育論的に言うと、子供が何かの役割を演じはじめたら、面白がってあげるのが親の役割なんだ、と思うけど。

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