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 つまり、中国にとって「虐殺」とは規模の問題でも人道・人権の問題でもなく、政治・外交宣伝のカードである。そもそも「中国人を殺害した」という一点について考えれば、その規模において毛沢東の右に出る者はない。毛沢東は文化大革命の最中、インドネシアから中国に引き上げてきた「反動勢力と命がけで戦った愛国の華僑同胞」ですら反革命罪の名のもと、迫害したのだ。いや、中国を少し弁護すると、国際政治においては、どの国でも人道とか正義という言葉自体が、政治・外交宣伝のカードである。

虐殺は人道問題ではなく政治カード

 「アクト・オブ・キリング」という映画のすごさは、「インドネシアの大虐殺を告発し、虐殺者とインドネシア政府を糾弾する」といった薄っぺらな人道主義がテーマになっていないことだ。

 主人公の虐殺者、アンワル・コンゴへの取材者の接し方は極めてニュートラルで、素直に観れば、彼は好々爺で、悪人には見えない。孫をかわいがり、命を慈しむ。ふつうの人が、政治の潮流の中で殺戮者にさせられただけなのだ、と同情すらわく。虐殺者の一人が言う。「あれは虐殺じゃなく、共産主義との戦争だ。虐殺かそうでないかは、戦争に勝った方が決める」。「アメリカもフセインは核を持っているとウソをついてイラクを攻撃した」。930事件最大の受益者で勝利者が米国はじめ西側自由主義陣営であるから、この大虐殺事件が国際社会で糾弾されることもなく容認されてきた。ポルポトの虐殺が国際社会で語り継がれるのは共産主義が敗者だからである。虐殺者が英雄になることは、インドネシアだけの現象でも、中国だけの理でもない。虐殺が肯定され、虐殺者が英雄になる仕組み、国際政治が容認すれば虐殺も正義の戦争となる、そこが真に恐ろしいのだと気付かせる構成になっている。

 中国の知り合いの元愛国反日青年が「アクト・オブ・キリング」を観たというので、感想を聞いてみたのだが、最初の感想は「南京大虐殺に匹敵する大虐殺事件」だった。だが、スハルトけしからん、米国けしからんという話から途中で、インドネシア独立前の旧日本軍の蛮行、最後に南京事件の糾弾、それを認めない安倍政権批判へと話が変わっていく。