※この記事は日経ビジネスオンラインに、2014年4月16日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
話題の「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリー映画を観た。ジョシュア・オッペンハイマーという米国人監督の作品で、1965年9月30日のインドネシアの軍事クーデター(未遂)とその後に展開されるスハルト軍事独裁体制での共産主義者、華僑らへの虐殺(9月30日事件、930事件)の加害者側、つまり「虐殺者」に「自らを主人公にした映画を創らせ、そのメイキングをドキュメンタリーとして撮影する」という奇抜な手法で歴史を振り返る。
虐殺とは?正義とは?英雄とは?
この奇抜な取材法が、監督すら予期せぬ化学反応のような結末を生み、虐殺とは何か、正義とは何か、英雄とは何か、国際政治とは何か、そしてジャーナリズムとは何かを深く考えさせ、エンタメ性も備えた傑作となった。アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門は惜しくも逃したが、世界各国のドキュメンタリー賞を総なめにしたこともあって、日本でも映画館に立ち見が出るほど観客が殺到している。
先日、友人から、中国人はこの映画を見てどう感じているだろうか、中国政府はインドネシア政府にどうして抗議しないのか、日本の南京大事件はあんなに非難しているのに、といった質問を受けた。なるほど事件当時、毛沢東はスハルトファシスト軍事政権を粉砕せよ!と、すわ人民戦争だ!というほどの勢いでインドネシアを非難し、国交を断絶した。
だが1990年に国交が回復したのちは、ほとんどこの歴史事件は振り返られない。1998年の華人排斥暴動(5月暴動)で、女性・子供も含めた1200人以上の中国系インドネシア人が虐殺された。これも当時から報道が抑制され、2013年の事件15周年も、追悼報道などほとんどなく、ネット上では事件のキーワードが削除対象になった。今なお、インドネシアには華人蔑視が根強い。なのに、最近のインドネシアの華字新聞「千島日報」では、インドネシア政府への批判ではなく、「日本の占領時代の虐殺の歴史を忘れるな」といった記事が掲載される。
これはなぜなのか。「アクト・オブ・キリング」は中国でも、ネットでそれなりにダウンロードされて観られているようだが、なぜ華僑同胞のために、インドネシア政府に賠償責任を、といった世論が起きないのか。今回は、そういうことを少し考えてみたい。
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