小田嶋:ローマ帝国で言うところの周辺民というやつ。

一同:(小田嶋隆のほとばしる教養に唖然)

:世界史用語か。そんなの忘れているよね、普通。

小田嶋:あれ、習ったとき、これは使えるって、ぴんと来たんだよね。でも細かいことを言うと、東京って実は東京で生まれて育った人間のための街でもなければ、そういう人たちが作っている街でもなくて、要は田舎からエリートが来て動かしている場所なわけ。延々それの繰り返しです。

:そりゃ確かにそうだ。

小田嶋:東京を動かしているものって何かと言うと、勢いも魅力も活力もある人たちのパワーでしょう。それってつまり、田舎から競争を勝ち抜いて東京に家を建てた人たちのパワーと資本力と可処分所得のことだよ。我々は彼らに勝てっこないですよ。

俺は潔くあきらめる、と。

小田嶋:そ。俺は小さな彫刻を作ろう、と。

本題に戻りました。

小田嶋:コラムみたいなものを書くときは、言葉遊びのような、当てずっぽうというのは当然あるのよ。例えば、しり取りエッセイというようなもの。「リス」で始まったら、次はスで、じゃあ「スイカ」について書く、みたいな。俺もネタさえあれば何でも書ける、という自負がちょっとあったりして、一度、体シリーズで行こうということで「つむじ」から、なんてコラムを書いたことがあるんだけど。それでも文章は、結末というか、文末は作り込んだ着地をしないと、終わらないところがある。文末が当てずっぽうで終わるのは、無責任なものになっちゃうから。

 その点、岡のCMの思わせぶりな投げ出し方。あれね、視聴者に「どう思う?」なんていう呼び掛け方は面白いなと思って。

テーマレスの私に注文をください

小田嶋さんもやってみてください。

岡康道氏(左)と小田嶋隆氏(右)

小田嶋:でも、やっぱりそれは、映像とかがないとできないことだと思う。

:映像というのは便利なものでさ、途中で文章というか言葉を止めても、ある絵を見せること、あるいは、ある音が聞こえることによって、方向を示すことはできるから。

小田嶋:余白が利く、みたいなところがあるよね。でも文章で余白というのは難しい。少なくとも俺は苦手です。

:考えてみたら、小田嶋のコラムというものも、ある短い範囲のものだよね。広告も長くて30秒でしょう。ということは、俺たちの資質では長いものはできないのかな、と。

小田嶋:長いもの、ないね。

:ないか。

小田嶋:ない。やろうと思ったことはあるけど、全然できないということがよく分かった。

:僕も、映画や小説というのは、とてもできない感じがする。あまりに自由すぎて。何か結末を言ってくれれば書けそうな気もするんだけど。

お題が必要なんですね。

:そうなんです。それがなくては何ひとつ書けない。

小田嶋:要するに、俺も岡もテーマがないのかもしれないね。テーマっていうやつを持ってる人間は、そのテーマに引き寄せて何か作るんだけど、俺たちは注文がないとお仕事しませんという(笑)。だから芸術家じゃなくて職人じゃないかという話だけど。

:そう、職人なんだよ、たぶん。

(次回に続く) ※来年もこんな塩梅で続けます。みなさま、どうぞよいお年を!

撮影協力 : Cafe 杏奴

※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています


「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)

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