「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2020年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)

 本記事は2008年12月26日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

(岡さんの作ったCMに小田嶋さんが突っ込んだ前回から読む)

:さて、小田嶋の話をしよう。

小田嶋:就職の面接を控えていたとき、岡と一緒にヘンな予行練習をしていたでしょう。で、俺は食品メーカーの面接で、わざと妙なこと言ったんだけど。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

クリエイティブディレクター 岡 康道氏 (写真:大槻 純一、撮影協力:「Cafe 杏奴」※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています)

:僕が覚えているのは、「博報堂にはほぼ内定しているので、御社の宣伝部か、博報堂の制作か、いずれにしてもお役に立てるはずです」なんていう、クソ生意気なことだよ。

小田嶋:俺、優が3つしかなかったのかな。で、「優」という字は人偏に憂いと書くから、あれは憂鬱な学生生活を送った者が取るものです、僕のように楽しい時間を送った人間は取れないんです、あはは、みたいなことも言ったんだよね。

:ぬけぬけと。

面接からして、すでにコラムのようだったんですね。

小田嶋:そう。当時、就職厳しい時期だったから。しかも、あらかじめネタを作っておかないと、受かるような成績じゃなかった。それで、ちょっと変わったヤツだな、というので入ったんだと思う。

:まんまと。

小田嶋:「変わり者枠」というのが会社にあるんだよ。とりわけ宣伝部のやつっていうのが、そういうのを好んだりする。まあ俺は1年もたなかったんだけど。

:1年どころか半年も、もたなかったんじゃないか。そんな小田嶋が一貫してやっていることは何か、ということを僕は考えてみようと思ったんだけど。人は、テーマ設定自体がすごく面白い人と、それから、テーマは別に面白くないんだけど、それをどう切るかという視点が面白い人とに分かれるのだけど、小田嶋の場合は明らかに後者。『人はなぜ学歴にこだわるのか。』にしても『サッカーの上の雲』にしても、テーマ自体は別に普通なんだけど、そこに小田嶋の目が入るということで、ちゃんと仕事として成立する。

『人はなぜ学歴にこだわるのか。』

人はなぜ学歴にこだわるのか。』光文社知恵の森文庫 税込み680円

『サッカーの上の雲』

サッカーの上の雲』駒草出版 税込み1470円

小田嶋さんの視点ということですか。

:そう。それは技術と言ってもいいのだけど、じゃあ、どういう技術なのかというと、この反抗的なというか、思春期的なというか、非権力的なというか――。反権力じゃないんだよね、小田嶋は。非権力なんだよ。だからまったく力はない。ものすごくよく言えば太宰治的。そんなひねくれた物の見方でもって、一応家族まで養っているというのは、全部テクニックのなせるワザなんだと思うよ。

着地点を探す男、書き出しをばらまく男

それは小石川高校時代以来、岡さんが「かなわない」と思っているところですか。

:僕らは同じような場所から出発したんだけど、それほどのテクニックがない場合は、僕のように社会性をまとっていくしかない。電通に入って、クリエイティブに行って表現する場所を作って、それで何とか好きなことをやろう、というように。だいたい形づくったところで一生が終わったりするんだけどね。

 小田嶋の場合は、いきなり技術がある。その技術は何かといえば、明らかに思春期にしか持ち得ない弱者の視線というもの。それをずっと発表することによって食えている、という技術だよね。僕はそれがなかった。

 それが、小田嶋をすごく褒めて言った場合です。

コラムニスト 小田嶋隆氏

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:というか、俺がやっていることは手の届く範囲のことで、こつこつ小さい彫刻みたいなものを作っているということ。文章でいえば、着地点ばかりを探しているようなところがあって、そういう技巧を磨いてきたんだけど、岡は書き出しの10ラインみたいなものを沢山ばらまいてやる、みたいなことができる。岡のCM作品のDVDを見て、あ、こういうものの作り方もあるんだな、と俺はすごい感心したんだけど。

:でも、大きく言えば同じことなのかもしれない。自分を形づくった上でやるか、そういうものを一切形づくらずにやるか、という違いだけで、同じ穴のムジナという気がする。実はそれ、弟と話して言われたことなんだけど。

岡さん、対談の下準備をしたんですね。

:めずらしく。で、結局、出発点が同じだからそれほど遠くには行っていないよ、と弟から言われた(笑)。

小田嶋:アツシ(岡敦=岡康道の弟)はいいところ、見ているよね。

:高校のときに感じた大人の社会や、正しいと言われているものに対する、ある種の違和感としか言いようのないものがあるよね。

 それは、当時の高校生がそれぞれに抱いていたことだと思うんだけど、なにせ気持ち悪いものだから、直視できなかったり、言葉では表せなかったりする。そうこうしているうちに、結局、俺たちって高校生だし何の力もないじゃん、ということで大学受験に向かって、大学に入ったら入ったで、別の面白いことも起こったりして、表現の技術を学ぶ必要もなくなり、大人になっていくわけだ、みんな。

違和感を消す人生、持ち続ける人生

小田嶋:でも、違和感はどこかに残っているんだよ。

:そう。その違和感を感じ続けているやつがどの分野にもいて、そいつらはやっぱり独特なものを作っていると思う。

小田嶋:あれは思春期に直面する何かなんだろうけど、その違和感を消すように努力していくのか、それとも戦っていくのか、処理の仕方は違いとなって現れるよね。岡は人のことを思春期とか言ってくれたけど、岡の作るCMなんかを見ていても、家族に対する違和感、あるいは人間が大人になっていくということへの違和感みたいなものが満載じゃない?

★小田嶋さんの最新コラム「ア・ピース・オブ・警句」。『「ハケン切り」の品格』はこちらからどうぞ(※現在リンクは切れています)

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