小田嶋:岡のCMに出てくる人たちって、みんな嘘吐きなのね。家族の話を演じているように見せながら、失敗している姿。で、岡作品が持つ家族問題とはまた違うメモも、今日は用意しているんだけど。まあ、いいや、これ以上は。
岡:不安なもの、ことを僕が描いているということは肯定するにしても、安定したものって、表現しても別に面白くないでしょ。だから人の不安のようなものに迫りたい、というか、迫ることで共感を得たいというか、そんなふうに思っているところはあるよ。
小田嶋:岡作品は、共感まではいかないけれど、フックは確かに掛かる。それが商品の購買につながるかどうかは知らないけど、30秒で人の心に何かひっかき傷みたいなものを残すための、嫌な後味とか、あるいは中途半端な投げ出し方とかは、すごくあるもの。あの、家庭教師のトライのやつも、相当困惑したし。でも、これは描く側にちゃんとした思想というか、何かはっきりした“ものの見方”がないと、できないことなんだよ、実は。
それぞれの思惑を持ちながら家庭教師を待つ一家を、ドキュメンタリーのようなアンダートーンの映像で描く。



岡:広告、特にテレビCFの場合は、広告を見たときと実際にものを買うときの間に、ものすごい時間差があるわけですね。テレビCFを見ながら、モノを買う人は今までいなかったわけで、その時間差を埋めるために、ずっと引っ掛かる何かが残らなければ、広告の機能は果たせない。そういうことをやろうとしているんだけどね。
小田嶋:JR東日本の一連の作品なんかは、初期の薄暗いギャグとは離れて、ちゃんと旅行に行きたくなるようにできているよ。
井上陽水の歌声をバックに、訥々と語る駅長の言葉に旅心がかきたてられる一編。




岡:だからJR以前とJR以降と呼んでくれる?(笑)。
小田嶋:岡に暦があるとは知らなかったよ。それとね、南アルプスの少女(サントリー「南アルプスの天然水」)ね。こういう映像が、お前の中に眠っていたのは驚きだった。あと、J-PHONEの映像派のやつ。
それぞれの思惑を持ちながら家庭教師を待つ一家を、ドキュメンタリーのようなアンダートーンの映像で描く。




「イメージの迷路」を意図した”映像派”の作品。
岡:そのあたりは、映画を観続けた、ということはあるとは思うけど。
小田嶋:結局この人は器用なのよ。例えばチャンドラーを読んで、これカッコいいな、と真似してまったく同じものを書いちゃうやつは才能がないやつなんだけど、何となくチャンドラーの匂いがするんだけど違うものだ、というのができたら、やっぱりそれは立派なものなんだよ。何かそこのところ。そういうものが、岡の中にあるとは、俺はついぞ思っていなかった。
岡:でさ、小田嶋の仕事の話もしない?
(次回、岡さんの逆襲編に続く)

撮影協力 : Cafe 杏奴
※当時は東京都豊島区のお店でしたが、現在はリンク先に移転されています
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「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)
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