小田嶋:すごく嫌だったよ。あの、居間に流れた空気。岡の作品集は時系列になっているでしょ。この三菱鉛筆がバブルの前ぐらいで、また時代とともに作風もちょっとずつ変わっていくんだけど。

:ダイハツのミラパルコから、トヨタのコロナ氏とか、いろいろになって。

ダイハツ・ミラパルコ90・「サイパン」編

♪ 買ったら当たるよ、サイパン旅行、ヘイ、
日本じゃ地味でも、サイパンじゃ美人 ♪
(という能天気なミュージックでみんなが踊っている)

トヨタ自動車・トヨタコロナ・「コロナ氏」

「その男の名はコロナという」というナレーションで、中村雅俊がダンディで少しとぼけた人物を好演。

小田嶋:間にバブルの崩壊があって。

:そう、バブルが崩壊して、僕もこのままじゃいけない、と。いや、三菱鉛筆はいいんですよ。ある意味、好評を博したし。でも、それだけでは、やっぱり狂った方面のプランナーとして、電通の中でごみのような扱いですからね。

小田嶋:ヘンなことやるあいつ、という位置付けでしょう。

:だからバブル以降は、戦略的に大きな深いキャンペーンのできる人、という存在を目指すようになって。できるだけ。

小田嶋:そうね。でも、全部通しで見ると、浮かび上がってくる1つの作風というのが、どうしてもあるのよ、岡の作るものには。

第一に家族というものを全然信用していないですね。

それは広告でいうべきこと?

小田嶋:そうそう。それを見て内田(樹)先生のブログを思い出して。彼も離婚経験者で、家族について面白いことを書いていたのね。どういうことかというと、朝日新聞が「カップル」とかいうテーマで、男と女が暮らすということについて連載記事を展開していたわけ。そのカップルというものが提示している姿として、思いやりだとか、愛情だとか、共感だとかを記事では並べていたんだけど、その記事についてコメントを求められた内田先生は、「僕には気持ち悪かった」と言ったら、記者ががっかりしたという。

 内田先生がいうには、家族なりカップルなりを支えている論理というのは、実は思いやりや理解や共感ではなく、礼儀もしくは儀礼だ、と。もし思いやりや共感や愛情がなくなったら家族じゃないんだ、としたら、家族なんてこの日本にろくにいないじゃないか、という話を彼はブログに書いていたんですが、僕はなるほどね、と思いながら読んだんだよね。

 で、それが岡の作品集を見る機会とも、ぴったり重なった。岡の作品にも、家族にとって一番大切なのは礼儀だよ、というメッセージがある。

:そんなこと言っていないよ、俺は。

小田嶋:言っていないけど、家庭って壊れた人たち同士が暫定的に一緒に住んでいる場所なんだよ、ということが表れているでしょう。

:家族というよりも、人というものは永遠に孤独だし、でも孤独では生きていけないから、誰かとつながらなくてはいけない。だけど、うまくつながれないんだ。とかを、僕はまあ、言いたい、と。ただ、そんなことを広告で言う必要があるのか、という問題はちょっとある。

小田嶋:でも30秒で見事に結論まで出しているよ。それでうちの息子に質問されたんだけど、せりふがいちいち棒読みなのはわざとなのか、って。

:敏感だね、息子。