岡:もちろん広告という枠を設定しないと、お金を払う人は誰もいないわけだから、ドラマを盛り込むにしても、ある約束に沿って作っていくことになります。ただ、僕はその枠をできるだけ逆手に取りたいわけで。ある枠さえ確保しておけば、あとの部分は自由なんだ、と考えたいんだよね。
とはいっても僕なりに、その商品の気分というんですかね、その商品とともにある感情を、掘り起こしていくことは、すごくするんです。ビールにしても車にしても、すべての商品は、使う人の感情とともにあるわけで、その感情の中から何をあぶり出すかということが僕の仕事になる。だから、僕が作る広告というのは、僕が考えているというよりは、もう答えはそれぞれの商品に宿命的にあって……
小田嶋:お前、今、それ、クライアント向けに話していない?
岡:何だよ、せっかくいい話をしているのに。
商品と表現の妖しいリンク
小田嶋:俺の側からすると、とてもそう見えないよ。できものとしての広告作品って、クライアント向けに作ってある部分と、視聴者向けに作ってある部分とが、そもそも分裂しているものじゃない? 岡の作品って、その分裂が、さらに、ものの見事で、クライアント向けには商品名ちゃんと言っていますよ、で、表現していることは商品とまったく関係なかったりしていますよ、みたいな作り方をしてあるわけだよ。
岡:いやいや、そうじゃないんだよ。それは俺の中では完全にリンクしているものなのだよ。
小田嶋:俺ね、何かね、ええと、どれだったけかな。(メモを探している)
岡:お前、メモしているの? やばいな。
小田嶋:俺がメモするなんて、めったにないことなんだけど、家族で気まずかったから、思わずメモした。そうそう、これだ。「三菱鉛筆」の変なお父さん。
一家4人の食卓で、「学校面白いか?」と、小学生の娘と息子に聞く父。
画用紙にマジックで何かを書きながら「学校、面白いか、だって」と、顔も上げずにつぶやく息子。
何かきまずい雰囲気が流れている。それを打ち破るように、お母さんの明るい声。
「なーに、あんたたち。新しいお父さんに向かって」
小田嶋:これ、裏移りしないマーカーの広告なんだけど、裏移りしないね、という話はちゃんとクライアント向けには打ち出していて、でも、視聴者には全然違うことを言っている。
岡:いや、これはちょっと特別なケースで、クライアントのオリエンテーションで「新しい」ということを伝えなきゃいけない、と言われたんだよ。ところが広告というのは、ほとんどすべてが新発売なわけだから、「新しい」というメッセージが力を持たないんですよ。だって新しいのが当たり前だから。その意味ではむしろ「新発売じゃないよ」って広告で言った方が、みんな驚く。とにかく「新しい」というインパクトは、生半可な作りでは伝わらないわけだ。
小田嶋:理屈はそうだな。
岡:そうなると「新しい」が強く伝わるのは、「新しいお父さん」とか「新しいお母さん」とか、そういう人が家族の中にいる。そういうところで、新しさを感じてもらうしかないじゃないですか。
小田嶋:でも、新しいマーカーとか、新しい筆記用具というのはいいものだけど、新しいお父さんっていうのはさ、必ずしもいいとは限らないわけで。全体として見ると、何か崩壊していたり、何か分裂していたりするわけでしょう。
岡:だから、三菱鉛筆は(自分のクリエイティブの経歴の)初期のころだからさ。初期作品は俺だって世の中に出るためにいろいろなことをやらざるを得なかったんだ。
小田嶋:これって実際オンエアになったの?
岡:なりましたよ、もちろん、失礼な。
小田嶋:だってウチの息子は、これ本当に流れたの? って言っていたよ。いや、たぶんボツになったのも入っているんだよ、と答えておいたけれど。
岡:まあ、確かに見づらいよ、かなり。俺なんか絶対見ない、家で。
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