小田嶋:出演というか、10秒ぐらい映っただけだけどね。なんか変なひな壇バラエティの出演依頼があった時に、俺、初めは断ろうと思ったんだけど、出演者があまりにも見たい顔ばかりだったからさ。こう、どうしても見たくなって。もう完全なミーハーのおじさんとして、自分が映るということも忘れて。
岡:それで行ったのか。
小田嶋:うん。撮影というのはどんなものなのか、スタジオというのはどういうところなのかという好奇心に負けて。で、失敗しましたね。
誰を見に行きたかったんですか。
小田嶋:いや、だから結構、ひな壇バラエティの常連みたいな人たち20人ぐらいが、がーっと出ていたわけ。
知的な人は小田嶋さんだけだったんですか。
小田嶋:いや、俺は知的な役だと思っていたのが間違いで。
岡:知的じゃなかった、と。
小田嶋:うん。なんか石原真理子がウソばかり書く女性誌の記者は許せない、というのを裁判仕立てのバラエティにしたやつで、それを100人の観客が有罪と見るか、無罪とするか、裁判員制度をちょっと意識したようなバラエティ。俺はそのオブザーバー的なところで、雑誌業界に詳しい小田嶋さん、いかがですか、というふうに意見を求められるんだと思っていたら、いきなり司会者から「女性誌の方が今日は来ていらっしゃいまして」と紹介されちゃって。おい、俺、被告かよ、みたいなことで。
岡:オブザーバーどころじゃなくて、糾弾される当事者だったんだ。
小田嶋:本当につらい思いをしました。
会議上手が裁判員になると…
岡:でも裁判員制度って、小田嶋も被告じゃなくて、裁判員に選ばれる可能性があるということだよね。
小田嶋:そうだよ。それは岡も同じだよ。

岡:でもそうしたら、完全に変なことになっちゃわない? だいたい、日本に裁判員制は向かないと思うけどね。だって、人と違うことを思っても言っちゃいけないという文化でしょ、この国は。あの制度は、「これは言うんだ、言わなきゃダメだ、人間のクズなんだ」というようなアメリカの教育の上にあるものだからね。日本では文化的に無理があると思うね。
陪審員とか裁判員のような制度ってアメリカ以外にあるのでしょうか。
小田嶋:いや、知らないです。
岡:あまり聞いたことはないですね。
小田嶋:司法を身近にって話なんでしょうけど。
岡:アメリカはそもそも、何でああいう制度ができたの。
小田嶋:あれはだからアメリカの町々に法律があって、保安官がいて、自分のところでまかなっていた、というものの名残なんじゃないのかね。アメリカにおける法というのは、イコール自治だったわけだよね。自分たちの町の法律は自分たちで作って、自分たちの銃で守るんだ、ということがあるでしょう。その延長に陪審員があるんじゃなかろうか。
村の掟みたいなものなんですね。
小田嶋:そうですよね。先住民族と戦いながら、自分たちのテリトリーを広めていったわけでしょう。要するに侵略ですけどね。結局、未開地を侵略していった人間たちの感覚としての法の精神ですよね。
岡:それが何で日本に今来たの。
小田嶋:ねえ。不思議ですね。しかも陪審員じゃなくて裁判員ということは、有罪、無罪だけじゃなくて量刑まで決めるという。
岡:ますますもって日本人には無理だよね。
小田嶋:ホームルームじゃないんだから。
岡:無理、無理、日本では絶対。
小田嶋:俺、短い会社勤めをしていた時に、「営業会議」と、「組合の会議」があってさ。それって、それぞれ違うことを言っているわけ、日本の普通の会社は。
たとえば組合の会議では残業をなくそうという話をして、営業の会議では売り上げを上げようじゃないかという話をしているんだけど、クローズドショップだから論じているメンバーは同じなんだよ、まったく。営業では、じゃあばりばり頑張ろう、と言いながら、組合では労働量を減らそうって、矛盾しているわけよ。
岡:逆だね。
小田嶋:俺は辞めるつもりの人だから、そこで質問しちゃうわけ。この間、組合の会議でこう言っていたのに営業会議でこういう結論になっているということは、じゃあ、残業を付けないで残業しろ、という話ですか、みたいに。
岡:それはもう殴りたいような新入社員だろうな(笑)。
小田嶋:会議というのは、本当はみんな矛盾が山ほどあることは分かっているけど、質問を我慢して、分かった、分かったと全員で合意して、なるべく早く帰りたいわけですよ。だって日本では会議って、合意を取り付けるためにあるんだから。議論が起こったり、深まったりしたら、それは会議としては失敗なわけ、日本では。でも俺は、議題を蒸し返す上に、会議ってもしかしたら話し合わないためにあるわけですか、みたいな鋭い質問もまたしちゃっているわけだよ。
岡:困ったヤツだよ。
ヘンリー・フォンダと小田嶋隆
小田嶋:それで怒られるのね。お前な、みんな疲れて会議に来て、新入社員にこういう質問をされてどう思う? と。
裁判員制度もそうなると踏んでいるわけですね。
小田嶋:そうなっちゃうんじゃないですか。「十二人の怒れる男」(1957年米映画)でも、初めに、こいつ、有罪にしちゃおうぜ、という話で合意が形成されかかったじゃないですか。あっちに行くと思いますよ。
岡:そのまま、じゃあ、そろそろ終わりましょうか、と(笑)。
小田嶋:普通に考えるとそうなるよね。
岡:あの映画に出てきた広告屋っていうのが、まさに世間一般の広告屋のキャラクターでね……。機を見るに敏で、何の信念もなく、口数が多くて。調子がよくて。
小田嶋:「奥さまは魔女」で、ダーリンの上司だったラリーがやっていたやつだな。クライアントの言うことに全部賛成するやつ。場の流れでどんどん変わるやつだよ。
岡:恥ずかしい仕事だな、とあれ観て思ったね。広告屋っていうのは、どういうわけか、魅力的に描かれることはないよね。
小田嶋:ヘンリー・フォンダっていうのは「十二人の怒れる男」の中で、1人だけ本質的なことを言うやつだったでしょう。みんなそんなことを言っているけど、本当はこう見ることができないか、みたいなことを言って、それがヒーローになっている物語じゃない?
岡:そうだね。
Powered by リゾーム?