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 神経科医だけではなく内科医やファミリードクターが、不眠や不安を訴える患者に抗うつ剤を処方しているのだ。しっかりしたデータはないが、筆者が米国で四半世紀のあいだ生活した経験で言うと、米国人は「気分がすぐれない」「よく寝られない」というだけで医者を訪れる。この傾向が日本人より強いように思う。

 さらに、神経科を訪れることに大きな抵抗感を持たない人が多い。医師と会って自身の精神状態について話をすることを人生相談のように捉えている人も少なくない。

 気分が数日間ふさぎ込むようなことは多くの人が経験する。親族の死などで一時的に気分が落ち込んでも、多くの人は自力で回復する。回復する力が内在していることを自身が知ってもいる。だが多くの米国人は、何のためらいもなく知り合いの医師の元を訪れて抗うつ剤を入手する。

 先進国で米国と並んで抗うつ剤の服用者が多いのは、アイスランド、オーストラリア、カナダ、デンマーク、スウェーデンなどだ。

 デューク大学医学部の神経科医、ハロルド・コーニッグ氏は米テレビ局の取材でこう述べている。「私は抗うつ剤としてまずゾロフトを処方します(安価のため)。ですが、患者さんは私のところに来る前にファミリードクターなどで、すでにゾロフトを処方されているんです。ですから抗うつ剤を服用することは、患者さんにとって新しいことではなくなっているのです」。

製薬会社と病院・医師との密接な関係

 抗うつ剤が多用されている別の理由がある。経済的理由だ。抗うつ剤市場は現在、米国だけで年間50億ドル(約6000億円)規模と言われている。製薬会社と病院・医師との「良好な関係」から、抗うつ剤がより容易に処方されやすい環境ができている。科学ジャーナリストのマイク・バレット氏は「製薬会社と病院が密接な関係を築いているのは疑いようのない事実です。うつ症状を緩和するには自然療法の選択肢もあります。しかし、医師はすぐに抗うつ剤を処方してしまう流れができています」と指摘する。製薬会社と医師との間に依存体質が出来上がっている。

 製薬会社が抗うつ剤を売り込む相手は病院や医師だけではない。米テレビでは抗うつ剤の広告を流している。日本では頭痛薬や胃腸薬の広告は頻繁に見かけるが、抗うつ剤についてはあまり見聞きしない。

 米国で製薬会社が抗うつ剤のテレビ広告を打つようになった背景として、抗うつ剤を生活の中に浸透させる狙いがあったと考えるのが自然だろう。抗うつ剤の日常化である。

常に笑顔を求められる米社会

 改めて抗うつ剤の功罪を考えると、医師を含めて服用者が大なり小なりの恩恵を受けている。患者は症状が改善し、医師は「正しい診断をした」と患者から評価される。だからからこそ売れていると考えられる。

 ハーバード大学が主催する健康関連のウェブサイトに次の指摘がある。「多くの医療関係者は抗うつ剤の使用を認めている。というのも、確実に抗うつ作用が見られ、患者の症状が改善されるからだ。服用中の患者の多くも恩恵を得ていると答えている。ただ一方で、使用され過ぎているという批判があることと、製薬会社によって販売の波が作られているとの見方があることは否めない」

 日本では、抗うつ剤を服用していると聞くと、その人は「精神的にかなりまいっている」という印象がいまだにある。だが、米国では「キャンディをしゃぶる」のと同程度に気軽なこととまで言われている。

 米国には、薬剤に頼ることに大きな違和感を抱かない文化があるかもしれない。服用しないですむならばそれに越したことはない。だが、周囲の誰もが服用しているといった状況にあれば、より手に取りやすくなる。

 ふさぎ込むことは誰にでもあるし、心が晴れない日もある。ともすれば抗うつ剤は、表面的な明るさを保つことに腐心する米国人の心の糧となっているのかもしれない。米社会では常に笑顔を示すことが求められるゆえに、抗うつ剤がより多用されているのかもしれない。

■変更履歴
掲載当初、「セトロニン」とありました。「セロトニン」の誤りです。お詫びして訂正します。 [2019/8/23 16:58]