小田嶋:ひどい経験をした時は、自分をその主体じゃなく、客体に置き換えてしまわないと耐えられない。今回の怪我だって、俺が足を折っている側の自分と一体化すると、「俺は、俺は、俺はーーーっ」みたいな、エコーのかかった状態になる。

:そうなると、別の病棟に入院ということにもなっちゃうよね。

小田嶋:なので、「足を折った自分を眺めて、その状態を描写している俺」みたいなところに気分を移し替えていくわけだ。それでちょっとハイになっているんだけど、そこに音楽が入り込んでくるというのは、あっちに行ってしまう可能性があり、まずいことだった。

:確かに僕が音楽を聴かなくなったのは、おやじの失踪の件以来。まあ、家の破産で聴く装置も失った、ということもあるんだけど。

以前「人生の諸問題」で「青春の音楽」を論じた時に、岡さんは「若者たち」(1966年)で止まっていましたものね。(こちらをご参照下さい)

:確かに、「若者たち」で止まっていたね(笑)。

小田嶋:その前は、サンタナとかミンガスとか、がちゃがちゃと言ってきていたんだよ、岡は。俺はといえば、若いころ、一番精神がまずい状態の時に、音楽に惑溺していた。というのは、結構ギリギリのところにいた。だから歌詞も英語の方がよかった。それは英語が、「まるで分からない」というのと、「すごく分かる」という間にあったからで、自分なりの解釈の余地があるから響いてくる、という理由があったんだよ。つまり俺にとって英語とは、ポエムなわけ。

……ポエム。

小田嶋:俺の場合、英語とのかかわり方というのは、ビジネスだったりグローバルだったり、コミュニケーションだったりは全然しない。すごく内的な、世界の誰とも話をしない、「俺・対・俺」の世界。強いて言えば、死んだジョン・レノンと俺が対話している。

すごく新鮮な使い方ですね。

:それ、褒めてる?

「ここ、たばこ吸っていいのかな」

小田嶋:……。というか、歌詞が好きなだけで、何とか受験まで乗り越えたんだから、そこそこエラいと思わない?

エラいと言ってあげます。

小田嶋:だから今の心の支えは、体重計に乗ると、少しずつ数字が下がっていることだよ(笑)。あ、お前、今、何かをこぼしたぞ。

(と、小田嶋さんの指摘する先に、編集部差し入れの「みつ豆」をこぼす岡さんがいる。)

:お前、今日、細かくない? うるさいよ。

小田嶋:だって今日、この部屋は病院さまのご厚意で貸してもらっているわけだよ。そして、ここでの12週間が、これからの俺にはあるわけだよ。

:ここの病院は、たばこは吸えるのかな。

小田嶋:やめてくれ。

:灰皿があれば、オーケーということだよね。

小田嶋:怪我した俺をこの上、針のむしろに座らせないでくれ。

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