小田嶋:出ました。ものすごく不自然な格好を取って、ズボンの後ろポケットから電話を取りだして「もしもし」とやったら、第一声が「今日やれる?」って。マージャンの誘いですよ。
一同:あー。
岡:そうしたらさ、いつもはそんなことは絶対ないのに、小田嶋は即座に「今日は無理だ」と、冷たく答えたんですよ。何て言い方をするんだろうか、失礼なやつだな、と一瞬むっとしたら、電話の向こうから「俺が今、どんな状況か分かるか?」と。そんなの、分かるわけないじゃないですか。そうしたら、「俺は今、救急車を待っている」、と(笑)。
最高ですね。
小田嶋:岡からの電話って、月に1度か2度あるぐらいで、俺たちは別に、ひんぱんに電話をし合っているわけじゃないんだよ。それが、あのピンポイントでかかってくるか、ということで。
岡:すごいよね。でも、電話に出たお前も、ちょっと笑っていた。
小田嶋:お前からということで、思わず笑ったわけだ。
でも、泣いちゃうぐらい痛かったんでしょう。
小田嶋:もう、めっちゃ痛かったですよ。
最初はスキーで切りました
岡:僕だって靱帯を切った時は、相当痛かったですよ。人生で最初に靭帯を切った時の痛さもよく覚えていますよ。
最初は何年前なんですか。
岡:35、36歳のころかな。
小田嶋:何で?
岡:スキーで。
アメフトじゃないんですか。
岡:アメフトじゃないんです、最初は。要するにスキーでただ滑っていたんです。しかも、転んだわけでもなかった。
じゃあ、どうして?
岡:片斜面を、ゆるやかに回っていこうとしていたわけです、イメージでは。
イメージでは。
岡:で、体を左側に傾けて旋回しようとすると、左足の内側に体重がかかる。そのかけ方が間違っていたのかもしれないんだけど、体重がかかったら、内側の靭帯がぶちっと切れたんですね。
そんなに簡単に行くものなんですか。
岡:いや、スキーはきっかけで、原因ではない。小さいころからいろいろ積み重なったものがあったわけです。
小田嶋:金属疲労のようなものが体にあって、それが「もうだめ」となったんだよ。
岡:元をたどれば高校時代だよね。走り高跳びで、マットがまだ敷かれてないころ、右足で踏み切る僕は、左足から下りざるを得なかった。これを何度も何度もやっているうちに、左足がおかしくなって、水がたまるようになった。あと、小学校、中学校の野球部でのウサギ跳び。あれでも水がたまっていた。とにかく不調はいつも左足に出るので、左が嫌な感じだな、ということは、いつも思っていたんです。
小田嶋:ただ筋力があると、若いうちはそれである程度補えちゃったりするんですよね。
へえ。だいたい靱帯って何?
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