本記事は2015年1月20日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

次々と蘇る連載初期の話題。もはや7年間の総括? の様相を呈してきた千早町編。岡さんのどん底時代から大企業管理職までを過ごしてきたこの町で見えてきたのは、「二度と返らない」ものたちとの対話でした。

前回、岡さんが幼少時代から大学を経て就職をした後まで過ごした千早町は、なんと通った高校・大学がある小石川と早稲田につながっていた、ということが発見されました。

小田嶋:その千早町の中で、岡の人生はめまぐるしく変わっていったでしょう。引っ越しだらけで。

東京の都心部は激しく変貌していますが、周縁部は意外と昔のままです。

ここで時間軸を整理したいのですが、幼少期にご両親に連れられて千早町に住み、前回でたずねた本屋さんの裏の路地で過ごしたのが、何歳までですか?

:あそこには小3までいて、そこから中2までは府中に住むんです。で、中2でまた千早町に戻ってきて、その時は「T島マンション」という、千早中学の裏にあったマンションに住みました。その後、マンションから結構大きな家に引っ越して、親父も一旗揚げたか、と思っていたら、大学1年の時に破産したんですね。

人生の起伏が千早町エリアの中で展開して。

:倒産した直後は、千川通りの裏にある、4畳半もいかないほどの、3畳ほどの部屋に1人で転がり込んだ。あれ、今、思えば、人が住める状況にはなかったですね。

それが、この対談シリーズでもたびたび登場する第二天神荘ですか。

あまりにかわいそうだから

:それは、「共に栄える」と書く共栄荘。天井をネズミが走る抜けるような部屋で、まさにネズミと共に栄える荘だったんだけど、倒産した時に住んでいた家の真向かいに、T島さんという天神荘の大家さんがいて、僕の窮状を見かねて、「そんなところにいるんだったらうちの天神荘においで。家賃は孫を見てくれたらいらないよ。お米は食えるだけ食っていいよ」と、声をかけてくれたんですね。

漫画みたい。

小田嶋:そうか、第二天神荘にはそういうストーリーがあったんだ。

:あったのよ。共栄荘は小田嶋も来てないでしょう? 

小田嶋:共栄荘は知らなかったね。『ラット・イン・マイ・キッチン』という有名なブルースがあって、「俺の気持ちを分かってくれるのは、俺と一緒に住んでいるキッチンのネズミさ」みたいな歌詞なんだけど、その世界だね。

:これは人にも言えないような暮らしだった。

続きを読む 2/9 使えるものは何でも使え

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