:小田嶋なんかは、ずっと赤羽にいるから違うのかもしれないけど、昔、暮らしていたところに行ったりすると、気持ちが揺れたりするだろう、普通は。

小田嶋:気持ちが揺れるかどうかは分からないけれど、通り掛かっちゃったりすると、さっきの岡のように記憶が、がーってよみがえってくるのはあるよ。

:そう、普段はまったく覚えていないのに、ものすごい勢いでよみがえってくる。そういうものに遭遇して、ああ、俺、昔、ここで……ってなった時に、いつもと違う感情が湧き上がってくるじゃない。センチメンタルと言っちゃえばそうだけど、何だろうね、これは。

小田嶋:日々、記憶を失う年代に突入すると、記憶がよみがえってくるということ自体が、うれしいというか。

老人っぽいですね。

男子はいつまでも青少年なのです

小田嶋:そういう本当のことは、ここでは言いっこなしにしてほしいんだけど。

:でも、もっと言えば、年を取らないとその感情は湧き上がらないよね。だから当然、老人なんですけど、僕の場合、50年ですよ。50年ぶりに路地へ帰ってきたわけだから。その50年って、すごくないですか。

小田嶋:やっぱりそれは、時間的な空白があるから起こることで、早稲田みたいなところは、用がなくても、ちょくちょく何だかんだ通り掛かっちゃっているから、あんまり湧き上がらないんだよ。

:早稲田は何にも湧かないね。

小田嶋:俺はこの間、京都に行って、京都にはそれがあった。

:京都はあるか?

小田嶋:京都はある。ああ、ここ、来たことがある、ということを、30年前のことなのに、全然覚えているんだよ。来た時のシチュエーションとか、誰と一緒だったとか、かなりありありと、細かいところまでが浮かび上がってくるんだよね。30年間、1回も思い出してないし、俺は地下鉄が通っていたことすら知らなかったんだけど。

どんだけの空白ですか。

「ここ、ここ」と、次々と過去がよみがえる。

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