岡:先生にも、中学教師が俺に何を言うんだ、みたいな態度に出るから、先生も僕を嫌うでしょう。だけど成績はいいし、運動もできるわけ。
いわゆる嫌なやつですね。
小田嶋:確かにそれだと友達はできないよね。
岡:そう、嫌なやつです。それが高校に入ると微妙に変わる。
小田嶋:進学校に入ってきた高校1年ってみんな、自意識が多かれ少なかれ、ちょっとスーパーマンなんですよ。その幻想が3年間で、ある程度壊れていくわけ。
岡:壊れていって、逆に本当の自我が固まるんです。そこで、自分の能力が大したもんじゃない、ということも確認できる。だからこそ、これじゃ俺、将来どうなっちゃうんだろう、という不安もあるんだけど、少なくとも小田嶋をはじめ、話をする仲間ができたことだけはよかった。
小田嶋:中学校でスーパーマン気取りを集めてみると、実は大したことないぞ、というやつが大量にいて、俺はどうも大したことがないんだね、ということに気付かせてくれるのは、進学校のまあまあいいシステムだよね。
でも、そこでどうやって自分を保つのですか。
小田嶋:だから当時は、俺は15歳のときにもう降りた、ということで自我を保っていた。
岡:こっちはもう降りているんだけど、キミはまだやってるの、みたいにね。
本当に降りていたんですか。
岡:降りた振りですよ。
小田嶋:もっと言えば、降りたわけじゃなくて、落ちこぼれたんだけど、降りたと思っているんだよ。
いつまでも大事にしているから、新しい友達が作れない
そうして降りた場所に、ソウルメイトがいた、と。
小田嶋:岡が素晴らしいやつだとかいうことじゃなくて、ティーンエージャーの男の子にとって、友達というのは絶対的なわけです。そういうものって20歳を過ぎて、30歳を過ぎるともう「友達って、まあ、昔いたよね」みたいなもんになっていくでしょう。その喪失感というのはきっと一生涯、残るんじゃないかな。
そこを私は「スタンド・バイ・ミー」で再確認したというか。でも、女性にはそういうのはあんまりないのかもしれない、ともふと思うのよ。いや、もしかしたら違う出方をしているのか、あるいは。
岡:違う出方をしているんだと思うよ。
小田嶋:あるいは女の人は大人になっても友達ができるのか・・・できる感じがしますよね、これはいろいろと。
できます。
小田嶋:そうだよ、女の人ってすごくフレンドリーでしょう。新しい主婦友達でも何でも、いろんなところで結構仲良くなって、交流があるじゃない。でも男って、30歳を過ぎて知り合ったやつと打ち解けられるかっていうと、それは絶対だめだ。
岡:マージャンのメンツとか、ゴルフとか、ルール上、4人埋めなきゃ、みたいなときだけだよね。
小田嶋:若いころの友達って、素晴らしい人間じゃなくても、若いときに知り合いだというだけで掛け替えのないところがあるのよ。別に岡のことを言うわけじゃないけど。
岡:俺だって小田嶋のことを、そうだとは言ってはないさ。
小田嶋:考えてみればあいつも変なやつだよな、とか、これといって取りえのないやつだよな、という友達って、振り返ればずっと昔にいて、そういうやつでも会うと懐かしい。
岡:俺のことじゃないよな。
小田嶋:そいつが素晴らしい人間だから付き合っているんじゃなくて、ある時代を共有したということがとても重要な要素で、そこにやっぱり帰りたいんだと思うよ、きっとね。
岡:そういう意味じゃ情けない一生だよね。
夢の中の少年時代
小田嶋:情けない一生だよ。一生15歳に戻りたいと思って、これから50歳、60歳になっていくわけだからさ。あれっ、もう50歳にはなっているのか。
岡:(ハタと)50歳にはなっているじゃないか。
小田嶋:驚くべきことだよ。だって夢の中では絶対15~17歳だもんね。
岡:そう?
小田嶋:俺はそうだ。大人の俺って出てこない。
岡:本当か?
小田嶋:だいたいね、いけね、授業に出なくちゃ、とか。
岡:それはお前に問題があるんだよ。
小田嶋:そうか。お前は、ちゃんと大人になった自分って、出てきている?
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