岡:未来というか、いつか、俺は分かるんだろうな、って。
小田嶋:それはそうだ。すごくそうだと思う。
それで分かったのってあります?
岡:ない。
やはり。
岡:だって、もう完成品だもん、17歳って。17歳以降、自分が成長したことなんて何もないですよ。あのころのまま、何とか生き延びているだけなんだよね。
小田嶋:今年の正月に、あれだ、あの映画、「スタンド・バイ・ミー」を観たの。あの映画はとても好きで、何回目かのリピートだったんだけど、でもあらためて観ると、何も起こらない映画なんだよ。
岡:4人の男の子たちが死体を見て、帰ってきました、というだけの話だよな、簡単に言うと。
小田嶋:いったい人々に何を訴えているの? という映画です。それで俺は、何を訴えているのかを考えてみたんだよ。そしたら、あれ、一番最後のせりふなんだよ。「以後、自分にはもう、ああいう友達はできなかった。12歳のころのような友達が、その後にできるやつがいるだろうか――Jesus, does anyone?」みたいな感じの付加疑問文。
原作:スティーブン・キング 監督:ロブ・ライナー
オレゴン州の小さな町に住む4人の少年が、線路伝いに“死体探し”の旅に出かける、12歳の夏休みのまぶしく切ない冒険譚。クリスを演じていた俳優リバー・フェニックスの、23歳というあまりにも若い死によって、さらに人々の記憶に残る作品となった。
小田嶋:あの4人の男の子たちは、大人になった後、当然、離れ離れになるわけだ。1人が刑務所に行っちゃって、もう1人が材木場で働く普通のおやじになって、リバー・フェニックスが演じていた仲良しは弁護士になったんだけど、喧嘩の仲裁をしたときに刺されて死んじゃいました、という結末。
で、作家になったやつが語り手として、その話を最後にした後に、「12歳のころのような友達が、その後にできるやつがいるだろうか?」という付加疑問文がくる。それは当然、「いや、できない」というニュアンスを強調しているんだけど、やっぱりそこなんだと思いますよ。12歳とまでは言わないけど、20歳前の時期に一緒にいた友達というのを、一生涯追っかけているような感は、俺にはすごくある。「スタンド・バイ・ミー」は、その凝縮なんですよ。
決め球は12歳から17歳でできあがる
岡:僕たちは結局、17歳の時に完成していたんだよ。だって、小田嶋の文章力も、この何でもかんでも批判的な態度も、あるいは僕にわずかにある物語を書く力とか企画力みたいなものも、全部17歳のときと同じものだもの。
小田嶋さんも、岡さんの言うことに納得しますか。
小田嶋:まあ、高校2年で出揃っていたといえばそうだよね。岡は初対面のときから、まるっきりこういう人でしたし。
岡:野球のピッチャーなんかも、決め球自体はもう17歳でだいたい出揃う。17歳のときのストレートやスライダーが基本で、ちょっと外角に外す技を覚えたりとか、同じ握りでチェンジアップが投げられるようになったりとか、後は応用のテクニックを身に付けてプロになるわけで、それができないやつはプロになれない。だから12歳ぐらいから17歳ですね。
たった数年。

岡:たった数年なんですよ。だって、その前はまるきり子供じゃないですか。
小田嶋:その中学校の3年間ぐらいがね、何していたんだろうなというぐらい、暗かったね。
岡:僕も、もう完全に暗かった。生涯で一番暗かった。しかも僕は教師に嫌われていたから。
小田嶋:お前はジャイアンからスネ夫になった時期だろう。
岡:そう、スネ夫期(笑)。友達もいなかったですからね。
何でですか?
岡:まず僕がいけないんだけど、俺はこんなところにいる人間じゃないんだ、と思っていた。
うわ。
岡:それが伝わっちゃうんだろうね。
今のひと言でひしと伝わりました。
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