小田嶋:谷崎潤一郎の『細雪』の世界ですね。とてもつまらないことで言い争いをしている、あの世界。
内田:そうなんです。しかも母は三姉妹なので、『細雪』の世界とオーバーラップするらしい。母は、戦前の三宮や芦屋や夙川がどんな街だったかということを、遠い目をして語るんです。
小田嶋:内田先生の書くものの中に、そういった失われてしまったものに対する哀惜の念をそこはかとなく感じていたのですが、それはお母さまから受け継がれていたんですね。
内田:そうかもしれません。一方、父親は鶴岡の出身です。庄内地方、あるいは東北の人特有の、ごりごりの反権力的、反中央的なものを持っていて、その部分を受け継いでいます。
小田嶋:藤沢周平の世界ですね。谷崎潤一郎ワールドと藤沢周平ワールドの両方を受け継いでいるというのは、すごいですね。
内田:どちらの世界にも、かつてあった日本の美しい風景に対する欠落感があります。
「民芸うどん屋」のインチキっぽさから救っているもの
小田嶋:そういった失われた日本を再興しようという内田先生の気持ちが、凱風館に結実したわけですね。
内田:そうかもしれません。凱風館はまさに母が育った場所のすぐ近くにありますし、外観は武家屋敷のようで、それは藤沢周平のエートスかもしれません。
小田嶋:昨日、凱風館を初めて拝見して、一緒にいた平川(克美)さんと悪口を言っていたんです。いや、悪口じゃないんですけれど(笑)。外から見ると、木材として杉を焼いたものを使うとか、漆喰の白い壁とか、日本建築のステレオタイプみたいな集合体になっている。悪くすると、「忍者パブ」や「民芸うどん屋」のようになってしまうところが、ギリギリのところで持ちこたえて、素晴らしい建築になっているのはなぜだろうって。
内田:なぜ持ちこたえているんでしょう?
小田嶋:やっぱり、使われている素材の良さでしょう。本物の瓦や檜、琉球畳が持つ香りや空気感です。民芸うどん屋は、和の心をコンクリートでコストダウンして作るから安っぽい。あと、内田先生が書かれた、「凱風館」という看板がいいです。あの、ちょっと偽の書道家が書いたような…。
内田:いや、いろんな先生に看板の書を頼んだんですが断られてしまって、自分で書くことになったんです。近所のスーパーで半紙と墨汁と筆を買ってきて書きました。書いてみたら、下手な字でね。
小田嶋:あの脱力感がいいんですよ。脱力感って言っちゃいけないな。
内田:あれは工夫して書いたんですよ。初めは楷書にしたんですけど、いまいちだったんで古代文字にしようと。白川静先生の『字通』を引っ張り出してきて、象形文字よりももっと前の、古代人が石にガリガリと書いていたころの形にしたんです。

小田嶋:しかもそれを、柔らかい線で書いていますね。あれが、忍者パブになるところを救っていますよ。武道家に対する偏見も、今回、凱風館を訪れたおかげでやわらぎました。
内田:どんな偏見を持っていたんですか?
小田嶋:知り合いで武道をやっているやつがいて、よく飲んでいたんです。まだお互い20代のころですね。武道家といっても、合気道を5年くらいやっていたようなやつです。飲むと熱く語りだすんですよね。「あの流派では、そっちから関節をとるけれども、我々の流派では、こっちから関節をとる」みたいな話です。
内田:武道やっている人は、飲むとたいていそういう話になりますね。
小田嶋:「あ、そう」みたいな態度で聞き流していると、「ちょっと手を出してみろ」って言う。それで手を出すと、関節を決める。頼むから止めてくれって言ってるのに、酒が入れば入るほど関節を決めてくる。「決め上戸」なんですよ。
笑い上戸とか泣き上戸じゃなくて、決め上戸。困った飲み方です。でも、そいつに言わせれば、俺なんかまだいいほうだ、先輩には「ハイキック上戸」がいるんだぞ、と言う。
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