2012年4月13日掲載の小田嶋隆さんのコラム「ア・ピース・オブ・警句」から「ソニー、過去最大赤字の『衝撃』」を再掲します。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
(日経ビジネス電子版編集部)

ソニーが国内外で従業員1万人を削減する計画を発表したのだそうだ(リンクはこちら)。
1万人という人数は、全世界に散らばるソニーの従業員の約6%に相当する。
思い切ったリストラ策と言わねばならない。続報によれば、この人員削減にあわせて、経営陣は、会長をはじめとするすべての執行役員の賞与を返上する意向だという。
決算について、日本経済新聞は次のような見出しを打っている。
『ソニー、「想定外」の連鎖 赤字最大の5200億円』
私は損益計算書やバランスシートを読める人間ではない。それでも、さすがにこの5200億という数字が容易ならざる金額であることぐらいは理解できる。
どうやら、ソニーは大変な局面に立っている。
今回は、ソニーの話をする。
といっても、私のような者が経営に口をはさんだところで仕方がない。だから、ここでは、ソニーにまつわる個人的な記憶を書き並べようと思っている。
記憶は、必ずしも実態とイコールなものではない。
が、われわれの記憶は、ソニーというブランドの基礎を形成している。その意味で、非常に根源的なものだ。
ソニーのロゴマークは、単なるひとつの家電メーカーの枠組みを超えた文化的な発信力を備えている。
ソニーがソニーであり、ソニーの製品が先進的で、高性能で、スタイリッシュであったことは、そのままわれわれ日本人がセンシティブで、賢く、勤勉であることを裏書きしていた。つまり、ソニーは、長らく、日本という国の優秀な側面を象徴する企業だったわけで、その意味では、われわれのプライドの核心を形成するブランドなのである。
ソニーについては、今回の報道に限らず、2003年の「ソニーショック」を初めとして、今世紀に入って以来、暗いニュースばかりが続いている。
ファンとしてとてもさびしい。
いま、「ファン」という言い方をしたが、私の世代の男は、自分で自覚していなくても多かれ少なかれソニーのファンだ。おそらく、ソニーの名前ややり方を嫌っている組の人々でさえ、ソニーというブランドの価値を否定することはできなかったはずだ。
だから、ソニーの調子が悪いというニュースは、われわれ世代の男性の士気を損ねる。もう少し踏み込んだ言い方をするなら、ソニーの衰退は、わたくしどもの世代の日本人男子の愛国心をかなり致命的な次元で傷つけている。このことは、誰もあえて指摘していないが、とても深刻な出来事なのだ。
国民の間に健全な愛国心を涵養するために、卒業式で君が代を歌わせたり、日の丸の前で起立する習慣を定着させることは、おそらく無意味な努力ではない。同様にして、愛国心教育に相当するカリキュラムを組んで、子供たちに愛国心の何たるかを教え、その必要性を説くことにも、一定の効果を発揮するはずだ。
でも、本当のところ、一般の国民が愛国心を抱くのは、誰かにそれを持つべきであることを教えられたからではない。
われわれの愛国心は、自国の自然、文化あるいは生産物に対して尊崇の念を抱くという、至極まっとうな道筋を通じて獲得されるものだ。ということは、身の回りの自然を守り、優秀な製品を生産するべく努めていれば、愛国心は誰が強要するまでもなく、ごく自然に、国民一人一人の精神のうちに醸成されていくはずのものなのである。
私のケースで言えば、ソニーは、いつでも私の愛国心を支える重要な柱だった。
いまでもよく覚えているのは、1990年代の初め頃、ウェストハリウッドでソニーのムービーカムを回していると、現地のオタクがわらわらと寄ってきたことだ。
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