そもそも、ゲートボールはなぜ高齢者のスポーツとして定着したのか。そこには1964年に開かれた前回の東京五輪が深く関係していた。

子供のスポーツだったゲートボール

 ゲートボールは日本発祥のスポーツだ。1947年、北海道に住む鈴木栄治氏が、欧州の伝統競技である「クロッケー」をヒントに考案。太平洋戦争の終結直後、遊び道具がない子供たちが手軽に遊べるようにという思いが込められていた。ゲートボールは当初、高齢者向けではなく、子供のためのスポーツとして生まれたのだ。

 それが徐々に変容していく。1964年の東京五輪を契機に、政府が「国民皆スポーツ」を提唱。当時の文部省が関連予算を組み、全国の学校や自治体などにゲートボールの道具を寄贈、普及を後押しした。

 地域の子供たちにゲートボールのやり方を教える体育指導員などのボランティアは定年を迎えた高齢者が中心だった。彼らは知人らに声をかけて独自に愛好会を立ち上げた。その輪が全国各地で広がり、高齢者の一大ブームへと発展していった。

 高齢者に広く受け入れられたのは、分かりやすいルールと、体力をさほど必要としない独自のゲーム構造にあった。

 ゲートボールは5人対5人のチーム対抗形式で争われる。赤ボールの先攻、白ボールの後攻に分かれ、ゼッケンを着た各チームの競技者が順番にスティックで自分のボールを「コン」と打っていく。

 コートに設置された3つの「ゲート」を順番どおりに通過させ、「ゴールポール」に当てれば「上がり」となる。チームメートと協力しながら相手チームのボールをコート外に弾き出す「アウトボール」などの技があるが、基本的なゲームの流れは極めてシンプルだ。

 コートの面積は15m×20mと、それほど広くない。試合時間は30分間。選手同士の接触など危険なプレーがなく、足腰が弱った高齢者も気軽に楽しむことができる。

 時代背景も追い風になった。先に触れたように、政府は東京五輪をきっかけにスポーツ振興に力を入れ始めた。それと並行するように、高齢化が社会問題として関心を集めるようになったのだ。

 1969年、東京都が70歳以上の医療費無料化に乗り出した。その後、同様の動きが全国に拡大。高齢者が大きな病気を罹っていないのにも関わらず、日常的に病院へ集まるようになり、医療費の増加という深刻な問題を引き起こすことになった。少しでも関連コストを抑制しようと、各地の自治体では健康促進の手段として、ゲートボールの活用を進めた。

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