:そもそも僕が小さいころは、電話が家になかった。大家さんのところにあったけど、長屋の我が家にはなくて、「電話ですよ」と、大家さんの娘か誰かがウチまで伝えに来るんだよ。そういう時は、佐賀の親戚が死んだというような、家族にとってのニュースだから、呼ばれたら急いで大家さんの電話まで飛んで行く。そういう時代があって、それからいつの間にか、家に電話がある時代になって、気が付くと、茶の間に置かれていたよね。

小田嶋:電話というのは、ものすごい重大事しか伝えてこなかった。だから電話が鳴った、というと家中が緊張して。

:当初はそういうものだったんだよ。

小田嶋:それで電話が家にあるようになってからは、「今の電話はツチヤからだった」ということを家族全員に報告する、という過程が到来した。そんなこと、親にとってはどうでもいいことなんだけど。

:そういう習慣がかなり残っていたよ。

小田嶋:にやにやする話、だらだらした話を電話でするということは、電話という機械に対してとても失礼だった。

:電話が家庭の茶の間に出現したという状況は、コミュニケーション史上、社会が江戸の末期から明治に転換したぐらいの革命的なことだったんです。

小田嶋:この間までは飛脚が来ていたんだが、みたいな感じですよ。

岡通信兵、東北を駆ける

携帯電話が世の中でメジャーになってきたのは、1995~1996年ですね。

小田嶋:岡は早かったよ。例のあの、ベトナム戦争の報道で使いそうな大きなやつを持っていて。まだ公しか持ってなかったぐらいの時代に。

正式名称「車外兼用型自動車電話」、愛称「ショルダーホン」。写真は「101型」。詳しくはこちら

:僕がそれを持っていたのは93年ごろで、電話というよりも、何かああいうものを持っていること自体が面白かったわけ。当時はJR東日本の広告制作で、ひと月のうち1週間か10日ぐらいは東北にいる日々だったので、会社側も、じゃあしょうがないか、みたいな感じで許諾してくれたんですよね。

小田嶋:今から思うと考えられないほど大きくて、自動車電話と兼ねていたやつでしょう。

:そうそう、通信兵みたいなやつね。でも、あれを持っていることが面白いだけで、別に機能としてとても必要だったのかと言うと、そんなことはなかった。だって同じ機械を持っている相手がほとんどいない段階なんだから、こっちが持っていたって意味ないよね。

小田嶋:そもそも電話が嫌いなやつが、何で持ち歩いてるんだか、という話だよ。

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