小田嶋:長電話しているって、揉めている時だけですよ。
岡:そうそう、揉めている時ね。
小田嶋:どういう意味だよ、みたいな。だからさ、みたいな。
岡:そういうつもりじゃないんだよ、みたいなね。
小田嶋:何、誤解しているんだよ、みたいな話は長くなりがちだけど、普通は、じゃあ、明日ね、みたいな、そういう短いあれですよ。
岡:それに、親が出たら切っていましたね、その瞬間に。まず父親が出たら切るでしょう。母親が出た場合は、高校名とか大学名をちゃんと言って、名前を名乗ろうというふうに自分に念じていて。
小田嶋:自分だけで行うリハがあったもんね。
岡:リハをしていた(笑)。だから電話に出たのが兄弟・姉妹だったらラッキーだ、と。もちろん本人が一番いいんだけど、その確率はかなり低いわけですよ。とにかく最悪なのはお父さん。
今日は最先端のメディアについて語っていただくはずでしたが。
岡:そうだな。いや、だから、そこから始まったということですから。
小田嶋:技術発達前史ということでね。
岡:そうです。すべてはここから始まっているんです。
小田嶋:しかも、これは技術発達史だけでなく、コミュニケーションの核心をつく問題ですよ。昔、それこそテレビに神が宿っていた時代は、テレビに緞帳が付いていましたからね。
岡:緞帳、付いていた。
電話が「公」との入り口だったころ
小田嶋:あれは機械じゃなくて、1つの別世界の入り口である、というちょっと大げさな設定があって、それをみんなで共有することで、茶の間が劇場であり得たということで。電話という機械も、プライベートじゃなくてパブリックな領域に属している話だった。電話によって、家という私的な空間が世間というパブリックにつながる。電話はそのツールとして、日常とは別なものごとを媒介する機械だったわけだよ。だから、家に電話が来ている間というのは、パブリックな話以外はしちゃいかんという感覚を、ウチの親父なんかは終生持っていて、俺が電話口で笑っていたりすると「何、ムダなことを言っているんだっ」と、怒られた。
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