岡:僕たちが思春期を過ごしたのは60年代末から70年代。要するに全共闘のど真ん中ですよね。
小田嶋:俺は1968年の王子野戦病院反対闘争を生で見ている。それで、一時的に全学連のファンになったわけ。
岡:僕は御茶ノ水カルチェラタン解放区闘争を見たね。機動隊が学生とぶつかった様子を、コヤナギと一緒に歩道橋から見ましたよ。あれは中1か中2のときじゃないかな。
小田嶋:1970年には三島由紀夫が割腹自決をして、72年は浅間山荘事件。74年には三菱重工爆破事件があった。
岡:すごい時代だった。
「俺も大学に行って闘争する」という中2病に
小田嶋:俺らが中学生だった時代は、闘争華やかりしころ。もろ中2病にアピールする時代で、俺も大学へ行って絶対やってやる、という病気にかかっていた。
岡:なんでカルチェラタンに行ったかというと、すごく憧れていたんですよね。それで中学の先輩から、「突入するぞ」という情報があったんだよ。実際に行ってみたら、ものすごいことになっているわけ。どこにその先輩がいるのかなんて、もはや分からない。
小田嶋:すごい現場を目撃したね。
岡:すごい衝撃を受けましたよ。だって、生で見ると、カッコいいったらありゃしないんだもの。
どのあたりがカッコいいんでしょうか。
小田嶋:ただ人がたくさん集まっているだけで、中学生には訴えかけるものがあるんですよ。機動隊のすごくいかめしいムードと、学生のがちゃがちゃしたムードが、両者で全然違うし。
岡:実際は小田嶋が言うよりも、もっと深刻な雰囲気で、死者が出るだろうと言われていた。警察が「見物人はこっちに来るな」と叫んでいて、そうこうしているうちに、何千人という学生と、何千人という機動隊が、だんだん、だんだん突き合っていくわけです。あれは異常ですよ。
小田嶋:人間が動いているのも見たの?
岡:うん、人間が動いていた。
小田嶋:あの当時は、都電の敷石なんかも全部はがされていて、なかなか見物に行ける雰囲気じゃなかった。
岡:とにかくもう戦場ですよ、戦場。戦争体験はないけど。それで、あと4年後ぐらいに俺たち、これやるの?みたいな感じになるわけ。何かすごいことになっちゃうぞ、なんて興奮してね。
小田嶋:そこにカルチェラタンというフランス語を持ってくるところが、当時の学生なのよ。ただ、確かに受験勉強の励みとしては、そっちだったよね。大学へ行ってあれをやるんだから、勉強もしなくちゃ、ぐらいな順序ですよ。
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