岡:中学生になると、親に連れていかれるのとは別に、自分の意志で映画を観だすようになるでしょう。その頃に観た映画の音楽だったんだよ。
小田嶋:封切りだった?
岡:いや、リバイバルですよ。江古田文化劇場で観た気がする。
小田嶋:江古田文化ってまだあるの?
岡:いや、もうない。
小田嶋:かつて「ぴあ」に載っていた東京の映画館が、今どうなっているのか、ということを全部調べた人がいて、その調査結果がツイッターで流れてきたんだけど、東京の映画館は300館ぐらいが消滅しているのね。江古田も映画館が多かったところなんだけど、時代の流れを感じるよね。
あのころの江古田はカッコいい街だった
岡:江古田は大学生の街だったから、結構しゃれていたよ。
小田嶋:そうそう。だめなグリニッジビレッジみたいなところだった。
岡:だめな、は余計だよ。昔の江古田は中学生とか高校生からすると、カッコいい街だった。
小田嶋:日大芸術学部、武蔵大学、武蔵野音大があって。美術系の人たちがいると、何となくカッコよく見えるね。

(写真:大槻純一)
岡:日芸はそう見えたし、そのもっと前に秋田明大という全共闘のトップが日大にいたでしょう。あの頃は全共闘ブランドというものが、微妙にあったのよ。それで言うと、当時は明らかに慶応より早稲田の方が、イメージ的に上だった。なぜなら早稲田には中核派があったし、革マル派だってあったし、と、いろいろブランドがあったから。
小田嶋:ある種のブランドね。俺が覚えているのは、早稲田の理工が作ったバリケードより、日大理工学部が作ったバリケードの方が構造的にしっかりしていたことだよ。
岡:困ったね。
小田嶋:日大理工学部はあれで結構、名前を上げたと思うよ。
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