小田嶋さんの番組は何ですか?

小田嶋:ゴホン、ゴホン(と我に返って)……俺はやっぱり「空飛ぶモンティ・パイソン」とか。

:それはいつぐらいの放映?

小田嶋:1976年とか77年。だから高校生ぐらいかな。

:え、高校時代ってありなの。

だって「青春の」なんですから、高校時代、全然ありですよ。

:そうか……。そうなるとだいぶ違ってくるな。「ハリマオ」とか言っている場合じゃなくなってくる。

小田嶋:岡の「ハリマオ」は、かなり非常に古いんじゃないの。4歳とか5歳とか。

:これ、すごい小さいころの話なのかと思っていたのよ。

編集部からは、あらかじめ「青春のテレビ番組」とお伝えしていましたが。 

:そう…。そうしたらね、僕は「岸辺のアルバム」(1977年)を追加したい。

はい、「岸辺のアルバム」を追加しました。

:「岸辺のアルバム」、それから「あいつと私」(1967年)。

小田嶋:「あいつと私」…また素晴らしいタイトルを出してくるね。

:何で。何よ。何が言いたいのさ。

小田嶋:いやいやいや。

同棲時代なんてうそばっかりじゃないか

:それから「ただいま11人」(1964年)と、「兼高かおる世界の旅」(1960年~1990年)と「新日本紀行」(1963年~1982年)かな。

小田嶋:これまた渋いね。

:僕は「新日本紀行」の大ファンで、いつも地図帳と一緒に見ていたんだ。

 あとね、「タイムトンネル」(1966年~1967年)を入れたいね。

小田嶋:「タイムトンネル」、洋物ね。あれは怖かった。「ネロの亡霊」というやつが怖くてさ、今でも覚えている。

じゃあ、岡さんの「青春のテレビ番組5本」はこんなところでよろしいでしょうか。6本になっていますが。

<岡 康道の「青春のテレビ番組」>
「快傑ハリマオ」 (1960年~61年)
「ただいま11人」 (1964年)
「あいつと私」 (1967年)
「兼高かおる世界の旅」 (1960年~90年)
「新日本紀行」 (1963年~82年)
「岸辺のアルバム」 (1977年)

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