岡:ストレートに肯定するのは抵抗があるけど。
小田嶋:太平洋戦争でだって、「お国のために」で死んでいった人たちはたくさんいるだろう。
岡:そうだよ。だって、そう思ってなきゃ戦地になんか行けないよ。逃げちゃうよね。

小田嶋:ヘックス(=六角形のマス目)でやるウォーゲームってあるでしょう。あの中で、陽動作戦を仕掛けて時間を稼ぐ手があるの。一番手前に一番クズみたいな部隊を配置して、そこに敵の主力が来ている間に、裏から回って敵を叩くという基本的な作戦なんだけど、ゲームのプレイヤーは、陽動作戦に配置した部隊が全滅するのに何日かかるのかを計算しないと、ゲームに勝てないんだよね。
マニアックなお話ですね。
小田嶋:その部隊にはいろいろなパラメーター(変数)があって、俺がやっていたゲームだと、イタリアのアリエテ師団には、「敗走」というパラメーターが設定されているんだよ。つまりイタリア軍は、自分の味方が10分の1ぐらい死んだところで、全員が敗走し始めるからって。
つまり、陽動作戦には使えないんですね。
小田嶋:使えない。イタリア人はすぐ逃げ出しちゃう。でも、ドイツの部隊は逃げない。そういうふうにキャラ設定があるの。
岡:しょうがないなあ、イタリアは。
小田嶋:俺が若いころ愛読した『キャッチ=22』という小説には、いろいろなエピソードがごちゃごちゃ出てくるんだけど、あの小説の一応の結論は第2次世界大戦で勝ったのはイタリアじゃないか、というものだった。だって第2次大戦で人があまり死んでないのがイタリアなんだよ。で、戦争に負けた翌日には、ローマ中の売春婦が「いらっしゃーい」って、ちゃんと営業していたというから。
岡:イタリアだね。
小田嶋:進駐してくる連合軍に向かってローマの少年たちが、「うちのおふくろと寝ないか? 処女だぜ」ってポン引きをしていたという。
勝ったのは、イタリアだった?
岡:しかもイタリアって最後は戦勝国側に付いていたんだよね。だから第2次大戦で負けた、ということにはなってないんだよ。
そうなんですか?
小田嶋:そうそう、イタリアは「こりゃだめだ」と思ったら、指導者を逮捕してさっさと降伏したわけ。(※編注:1943年7月25日にクーデターで失脚、その後ナチスドイツの傀儡として復活しますが…)
岡:だから、あの戦争ではドイツと日本が負けちゃったよね、みたいなことになっているんです。
小田嶋:しかもソ連は最後は勝ったことになっているけど、ものすごい数が戦死している。戦勝国とはいうもの、とんでもない数の戦死者を出した。イギリスだって、かなり空襲も受けたし、人もたくさん死んでいるんだけど、イタリアという国はちょこっと参戦して、戦局が不利になった瞬間に、ごめんなさい、って。
岡:結局、ムッソリーニは銃殺されたんだよね。俺、誕生日が同じなんだよ、ムッソリーニと。
小田嶋:それでイタリアは戦争責任もいち早く回避しちゃったでしょう。ドイツはナチスのやったことに、いまだに「ごめんなさい、ごめんなさい」と言い続けているけど、イタリアでは、「このファシストが」とか言って、ムッソリーニをみんなで寄ってたかって吊し上げて、「いや、こいつが悪かったんですよ」なんて。
岡:そこは日本もまったく違うよね。
小田嶋:日本では、ヒロヒトが悪かったんですよ、なんて言うようなメンタリティはなかったですね。
岡:なかった。しかも天皇を許したどころか、これからも大切にしていきます、ということになって。
小田嶋:1億総ざんげとか言っちゃったもんね。「お前のせいでこんなになっちゃって」というようなムッソリーニとは、だいぶ扱いが違う。
岡:イタリアは適当国家だからね。
小田嶋:そこはやっぱりラテンならではですね。
対照的に、「グッド・シェパード」で描かれていたエドワードみたいなアングロサクソン中心のアメリカ人たちは、息苦しくなるくらい、国家とか組織への忠誠心に固執します。
小田嶋:そのあたりは日本の武士と通じるところがあるかもしれない。エドワードの親父が「私は臆病者だ」と言って死を選ぶところなんか。
岡:武士における「卑怯者」と一緒ですからね。武士は卑怯と言われたら死にますよね。だからエドワードも武士も、みずからの誇りを基準にして生きていく、という点では通じている。
武士道とは、ビジネススキルと見つけたり
編集Y:ちょっと横入りしますが、先日、「ビジネスに効く武士道」みたいな企画をやれないかと、資料を読んでみたんです。
岡:軽いな…。
編集Y:そうしたら「武士道」というイメージと、実際とのギャップに驚きました。例えば「卑怯者と言われないためにはどうしたらいいか」、ということに対して、「勇敢たれ」じゃなくて、「いかにそういう避け難い事態から自分を遠ざけるかが大事である」といっているんです。
岡:ノウハウということ? 思想じゃないの?
編集Y:まさしく。例えば抜刀して走っていく武士を見てしまった、と。どういう事態になるか、これは見捨てておけない、と、そいつの後を追ってチャンバラに参戦をするのが武士の道ではあるが、そうするとケガをするよ、と。かといって、見て見ぬふりをしたら、誰かに見られていて「あいつは腰抜けだ」と言われかねない。だから、「そういう場面に行き当たったら、しばらく間を置いて、ハタと気が付いたふりをして、それで後を追って途中で見失え」、ということが書いてあるんです。
(出所は『日本政治思想史 十七~十九世紀』渡辺浩著、東京大学出版会)
小田嶋:東京電力みたいだね。
岡:あれが「武士道」なのか。
小田嶋:2カ月たってから、やはりあれは溶融していた、と。
ハタと気付きました、と。
Powered by リゾーム?