岡:要するに、そこで自分が崩れちゃったからだよ。強く打たれて、泣いたり、笑ったりと感情的になるというのは、崩れると同義でしょう。そういうのって、乱れるということだからさ、恥ずかしいよね。そうそう「乱れる」という日本映画もあったね。あれ、乱れないんだけどね、全然。
監督:成瀬巳喜男 主演:高峰秀子、加山雄三
「戦争で夫を亡くし、嫁ぎ先の酒屋を独りで切り盛りしている未亡人・礼子(高峰秀子)は、ぐうたらな義弟・幸司(加山雄三)から想いを告白されたことから、やがて自分の居場所を失い、家を出て行くことになり…(アマゾンのサイトから引用)」って、何だかすごい映画ですね。
岡:「乱れる」の主演は加山雄三なんだけど、すごくいい芝居しているの。“若大将”とは全然違う。
小田嶋:加山雄三だったら、俺もちょっと言いたいことがある。加山雄三って岡本喜八監督の「暗黒街の弾痕」(1964年)とか、テレビドラマの「ブラック・ジャック」(81年・テレビ朝日系列)とかいう作品にも出ているんだけど、どっちも猛烈に暗い作品なのよ。実はあの人、暗い芝居をするといい役者なんだよね。
岡:そうそう、いい役者なんだよ。
小田嶋:ただ「若大将シリーズ」で、柄に合わない明るい役をずっとやらされてきたことで、きっと俳優として遠回りさせられたんじゃないかな、というか、いまだに遠回りしている感があるんじゃないかな。
乱れる「黒い若大将」
岡:それで金になった、ということが、彼の芸術家としての方向を変えたんだよ。だって今も年末になると「若大将シリーズ」の歌を歌っているじゃない。あれで稼げるからね。だけど彼自身は何か全然違う人だよね。
小田嶋:「海よ、お前は~♪」(注・これは実在する歌詞ではありません)という方向の人間じゃないよね、あの人。
それで「乱れる」がどうしました?
岡:「乱れる」は昭和30年代の映画なんだけど。
また「青春の5編」に戻っちゃうんですか。

岡:いや、これはそうじゃなくて、年を取ってから観たんだけど。大学生と人妻の暗い恋の話で、「乱れる」というタイトルなんだけど、全然乱れないのが粋なんです。若者が観て楽しい映画じゃないんですよ、これは。
おじさんになったからしみじみと。
岡:おじさんになったからというか、いや、大人になったから、と言い直してほしい。
激しく拒否反応が。
小田嶋:こいつも、おじさんになったことに、まだ適応してないんですよ。
岡:それで、「乱れる」の対極にあるものとして「踊れトスカーナ!」というイタリア映画があるんですよね。
小田嶋:「踊るマハラジャ」?
岡:「踊れトスカーナ!」。まあ、ひと言でいうと、イタリアの田舎町の一家のところに、スペインの踊り子たちがやって来る、という映画なんだけど、これは元気になる。すごく元気になる。
英国の労働者よ、踊れ!
みんな踊っているんですか。
岡:いやいや、スペインのダンサーが出てくる話だから「踊れトスカーナ!」なんだけど、そんな終始踊っているわけじゃない。ただ、もちろん踊っているシーンも多い。明るい映画です。
小田嶋:岡の挙げた「フル・モンティ」「リトル・ダンサー」「ブラス!」というのはイギリス映画だよね。
岡:イギリスの労働者階級を描くイギリス映画って、全部素晴らしい。僕は階級闘争が入っていないと、面白く思えないのかもしれない。
注・それぞれのあらすじ
「フル・モンティ」:かつて栄え、今はさびれた鉄鉱の町。失業、同性愛、人種、親子、夫婦などさまざまな事情と問題を抱える中年男たちが、冴えない現実から抜け出すために自分たちでストリップ・チームを結成する。
「リトル・ダンサー」:不況の只中にある炭鉱の町。幼いころに母を亡くした少年ビリーは、ストライキに身を投じる炭鉱夫の父と兄、高齢の祖母と暮らす。ある日、ボクシングの練習中、ジムの隅で開かれているバレエ教室の方に心を奪われて・・・。
「ブラス!」:炭鉱の存続か閉鎖かで揺れ動く町に1人の女性、グロリアがやってきて、炭鉱夫たちで作る由緒あるバンドを復活に導く。しかし彼女は経営会社から送られた調査員。バンド仲間への愛と、ミッションの間で葛藤が繰り広げられた後、バンドはコンクール決勝に向けて結束を高めていく。
小田嶋:「リトル・ダンサー」って、日本でいうと、あれは三池炭坑とかの話になるのかね。
岡:それだと「青春の門」みたくなっちゃう。
小田嶋:どうしたって暑苦しいよね。
岡:でもイギリス映画は違うんだよ。「リトル・ダンサー」では、背景にそこはかとない悲しさと諦めがただよう炭坑町の男の子が、よりによって男らしさの逆側に位置する「バレエ」を選んじゃう、というストーリー。
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