小田嶋:昔だったら立て看の嵐になっているよね。

:いやいや、当然バリケードだよ。

小田嶋:俺なんかは70年安保闘争には5年ぐらい遅れた世代だけど、それでも、「今、エンタープライズが佐世保に来ているけど、どう思うんだ」みたいなことを、ちょっと頭が熱くなったやつが言い出したりしていたでしょう。そういうとき、俺は正直に言うと「興味ないな」の側なんだけど、その「興味ないな」を口にするのに勇気は要ったよ。「うーん、自分なりに考えはあるけど、まだまとまっていないんだ」とか、そういう逃げのせりふを言ったことを、うちに帰ってからちょっと後悔していたりした。

その反動が、後のコラムニスト人生にはみごとに生きましたね。

小田嶋:いや、そういうことを言いたいんじゃないんだけど…。

:でも、70年代に大学生だったら、やっぱりデモに行かないってことは、あり得なかった。

小田嶋:だから、5年早く生まれていたら、「エンタープライズが来ているけど」「よし、行くぞっ」になっていた。

:それは行かざるを得ないよね。だから役所広司は任務を終えた時点で腹も切らざるを得なかっただろうし(ここの意味が分からない場合は、お手数ですが、2011年11月21日回へ)、佐世保にエンタープライズが来たらデモに向かわなきゃいけなかった。そういう時代的なものというのは、確かに人間にはあるんだよ。

小田嶋:何だか分からないけど、キャンパスを歩いていると、「プエブロ号のあれはどう思いますか」とか、急に聞かれるのよ。

注・プエブロ号のあれ=1968年にアメリカ海軍の環境調査船、プエブロ号が領海侵犯を理由に北朝鮮に拿捕された事件。

:そうそう、そこまではあったよな。

小田嶋:早稲田大学には普通にあった。

:大学に入学したときに、小田嶋が民青のメンバーから「どう思いますか」って聞かれたことがあったよね。で、俺たちはその辺りについては高校時代に学習済みだったから、小田嶋は「ああ、ミンコロのことだろ?」と軽く答えたんです。それで、お前、どこかに連れて行かれていたよね(笑)。

学習院で見た光景に大ショック

小田嶋:いろいろ囲まれて、いろいろ言われたけど、ごめん、いや、あれなんじゃないの、と最後は謝って帰ってきた(笑)。

1人で頑張ったの?

小田嶋:頑張った。俺、そういうの、好きだったの。だから原理のオルグにも行ったしね。

好きだった?

小田嶋:はい(笑)。だいたいキャンパスで声をかけてくるやつは、革マルか民青か原理か。とにかく大学というのは、歩いているといきなり質問される場所だった。

:今はきっと、そんなことはないだろうけどさ。

小田嶋:クラスの同級生の女の子に、「世界を動かしているものは何だと思いますか」って聞かれるんだよ。ああ、これはあんまりふざけちゃいけないな、と思いましたけどね。それとか「未知のことに興味がありますか」とかね。

:あった、あった、そういうの。未知とか真理とか。

小田嶋:「マリちゃんって、女の子の名前ですか?」なーんて俺は言っていて。

:まあ、その辺りは危険がそれほどなかったからね。

小田嶋:そう。でも、中核、革マルは怖いからふざけられなかった。人当たりは柔らかかったけど。

:人当たりが柔らかいって、相当怖いよね。

小田嶋:同じ時代に学習院に遊びに行ったことがあるけど、学習院は違ってた(笑)。立て看も見当たらず、深い緑の中で、女の子がテニスで遊ぶ音がスパーン、スパーンって。で、男も女も会話する声が、ひそひそしていて大きくないの。あ、こいつらは語らっているんだ、と思った。

そんなことにびっくりしていたんですか。

小田嶋:しかも無防備なことに、女の子がテニスを終えた後、普通の水道で足を洗っているのよ、生足を。

:いいじゃないか、洗っていたって。何でお前はそこで反応しているのよ。

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