小田嶋:だって、そういうときに、ヤバいよとか、危ないよとか言うのってカッコ悪いじゃない? だからついつい付いていっちゃう。

「俺は2走じゃないとイヤだ」とか、そういう話はしなかったんですか。(おなじみ“2走”のエピソードはシーズン1『「体育祭」と「自己破産」と「男の子」と』2007年10月19日参照)

小田嶋:そういうニベもない拒絶は、俺にはなかった。ないまま、死に近づいていた。

クリエイティブディレクター 岡 康道氏

:失礼な。僕にだって青春の彷徨はありますよ。僕、そのころね、夜にヨシダのバイクの後ろに乗って、よく海に行ったのよ。そうすると、後ろでは何もやることがないからさ、寝ちゃうんだよね。それで、落ちそうになって何度か注意されたね。あれ、一番死に近かった(笑)。

小田嶋:あの時代、バイクに乗っているやつって、ろくなことなかったよね。

:徹夜で走るでしょう。もうだめだ、寝ようということになると、ボウリング場にもぐりこんで。ボウリング場って、管理体制も甘くて、何となく入っていくと椅子はあるし、あったかかったりする。ちょうどいいんです。

小田嶋:お前は不思議にヨシダと仲がよかったんだよね。一緒に北海道に行ったりしていたし。

:そうそう。それは2人で船に乗って北海道に行ったんだよ。台風16号と一緒に。すっごい揺れる船で、一番安い席で、船酔いで吐きまくって、東京の竹芝桟橋から函館に着くのに27時間かかった。

うわあ、きつい。27時間ならパリに行けたんじゃないかしら。

:金がなかったんだ、と、たった今、お話したばかりでしょう。しかも、船だった、と言いましたよね。それで、帰りも船で、今度は台風18号というのが来ちゃって(笑)。やっぱり揺れて、吐きまくって、とにかくもう、ヨシダのことが大嫌いになった。

小田嶋:その後、半年ぐらい口を聞いてなかったりしていたね。笑ったけどな、あれ。

:あとね、夏の間はユースホステルとか国民宿舎に泊まりながら、信州から東北を旅する「モーターサイクル・ダイアリーズ」的な旅もしていたんだ。そういうところって1泊500円ぐらいで泊まれるんだけどさ。夜に管理人のおやじみたいなやつがギターを弾いて、みんなで歌わなきゃいけないんだよ。あれがつらいのよ。

ユースホステル伝説ですね。

小田嶋:あのギターおやじってのは、世代的には60年安保の人たちで、フォークゲリラといっても過言ではない。気分としてはマイク眞木の姿ですね。「漕げよマイケル」あたりを歌うんだけど、たまったもんじゃないんだよ。

:お前も泊まっていたのか。

小田嶋:うん、ちょっと。

岡さんは歌ったんですか。

:それは歌いましたよ。1人ずつじゃなくて、みんなで歌うだけだから。

何を歌ったんですか。

:だから…

小田嶋:マイケルが船を漕ぐ、だろう、やっぱり(笑)。

:あと、「バラが咲いた」とか(笑)。

小田嶋:あと「若者たち」とか、五つの赤い風船のとか、初期の小椋佳のとか。

日光暴走族ダイアリーズ

小田嶋さんも相当深くはまっていたんじゃないですか。

小田嶋:俺は1回行ったことがあるだけ。行っていた、と言うほど行ってない。

:国民宿舎の方は、スタンプ帳みたいなのがあって、猛者みたいなやつの帳面には70個ぐらいスタンプが押してあるのね。

朝のラジオ体操みたいなんですね。

小田嶋:俺は高校1年に入ったばかりのときに、お巡りの息子と一緒に2人でバンガローで5~6泊したかな、学校を休んで。

:長いじゃないか。

小田嶋:最後、金がなくなって日光の駅で寝ていたら、そこが暴走族のたまり場でさ、大変だったことがあるけどね。

どういうふうに大変だったんですか?

小田嶋:まず寒かったんだよ。俺たちは毛布を持っていたから大丈夫だったんだけど、東京から来ていた暴走族のやつらが寒がって。「毛布、盗めるところを知らないか?」って聞かれたから、「盗めるかどうか分かりませんが、昨日まで俺たちが泊まっていたバンガローなら、借りることができるんじゃないかな」って、一緒に借りに行った。

盗みに行ったんですね。

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