小田嶋:その点で言うと、「イントゥ・ザ・ワイルド」の厳しさったらないもんね。
岡:あれは厳しい。
お2人は主人公のクリスの気持ちというのは分かりますか。
小田嶋:分かります、分かります。
岡:分かりますよ、それは。
同席の男性編集者たち:(全員がうなずいている)
小田嶋:やっぱりね、若いときって自分が何者か分からなくて、どうしていいか途方に暮れているわけよ。何とかそういうところから逃れることができるのは、30歳を過ぎてからなんじゃないかな…。そう言うと流行りの“自分探し”みたいで気持ち悪いし、自分が見つかったわけでもないんだけど。
岡:学校を出た若者が、これから入っていく社会というのは、自分たちと関係ない大人が作ったものだよ、という信憑性のなさが主人公の物語の前提としてある。クリスのように、それに背を向けた以上は、信憑性のあるものって自然しかないよね。だから、ワイルドに分け入る(=イントゥ・ザ・ワイルド)、というのはすごくよく分かるけど、僕はとてもあんな度胸はない。
小田嶋:あれはジャック・ケルアックから種々のロードムービーにいたるまで、アメリカの青春というやつに脈々と通じる、いわゆる『路上』へ行っちゃう人たちのことですよ。
岡:でもクリスが行ったのは路上じゃなくて、荒野だったよ。
小田嶋:路上ではなかったけれど、要するに『怒りの葡萄』から連綿と続く、アメリカのDNAですよ。あの国の建国自体が、大陸から流れてきちゃった人たちが新天地を求めて、うろちょろした果てに、というようなことだから、彼らにとっては、クリスのようにどこか知らない土地をぽつんと歩いているというのが、そんなに突飛な風景じゃないんだよ。
アラスカの電話ボックスからSOS
岡:度胸の問題だけじゃなくて、歴史的な問題か、言ってみれば。
小田嶋:我々からしたら、ちょっと圧倒されますよね。間宮林蔵ぐらいですよ、日本でそういうことをやった人って。
岡:でも、彼は海岸を歩いただけだろう。
小田嶋:まあ、測量していただけだから。
それ、間宮林蔵が聞いたら怒りますよ。
岡:クリスは最後、毒草を食ったわけですよね。
そうですね。
岡:あれ、医者に行くよね、普通。何とか下山して。
そうそう、医者に、って、そういう方向に話を持っていきますか。
岡:あるいは電話ボックスのあるところまで行くよね。
そうそう、電話ボックス、って、どうやったら荒野に電話ボックスがあるのでしょうか。
岡:彼はアラスカで死んだでしょう。
小田嶋:要するに死に場所を探して、あそこにたどり着いたというか。

岡:そうだよね。で、彼は廃車になった不思議なバスで暮らしたじゃないですか。あのバスが最終地点で。
だから電話ボックスなんか、やっぱりなかった。
岡:だけどさ、あそこにバスがころがっていた、ということは、バスが通っていたわけだよ。ということは、バスが通るんだから、ある程度、でかい道なんだよ。
う。
岡:そうしたら、その道をもう少し降りれば、電話ボックスはあるし、俺がもしイントゥ・ザ・ワイルドをやるとしたら、電話ボックスはどこにあるかぐらいは確認してからやる。
…。(清野由美、岡康道の強弁に敗れる)
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