小田嶋:ラクエル・ウェルチがここ(胸)とここ(腰)を、こう、毛皮で隠していて。見えそうに。「キングコング」とか「ギャートルズ」とか、原始人系のダイナマイトバディ姉ちゃんというアイコンを最初に作った映画ですよ。

でも小田嶋さんのお父さんは、一種の学習映画として息子を連れていったはずですよね。

小田嶋:だから子供たちを連れていくお父さん向けにサービスとしてお姉ちゃんが出ているという、そういうマーケティングの映画です。でも、とんでもないよ。だいたい恐竜と人間が一緒ということ自体、考古学的にはあり得ないでしょう。

8年間で見た映画は4本でした

岡さんもそうやって観たりした時期はあったんですか。

:そうやってというのが、どうやってなのか分からないけど、僕は映画青年ではまったくなかった。だから大学のときに観た映画は「ロッキー」「ロッキー2」だけ。それで電通に入って、80年代の邦画ブームみたいなのが訪れたときは、営業をやっていたから、「ロッキー3」「4」しか観てない。だから8年間で「ロッキー」しか観なかった。

いやはや何とも。

:ただし高校生のときには、すごくたくさん観たんですよ。西武池袋線の江古田に「江古田文化劇場」という映画館があって、あそこで毎週、日本の映画をひそかに。

小田嶋:そうだったんだ。

:小田嶋んちは赤羽だし、椎名町・江古田方面って友だちもいないから、1人で行くしかないわけですよ、

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:でも江古田は日芸があるし、武蔵野音大もあるしで、美大生がいたり音大生がいたり、若干、大学生文化のあるところだよね。江古田の喫茶店って、リッチじゃないけどしゃれていて、寂れたグリニッジ・ビレッジみたいな感じがちょっとあって。

小田嶋さんもよくご存知ですね。

:だから高校3年間は観たよ。それから電通でも、営業からクリエイティブに移ってからは観た。転局したのが入社5年目の28歳のときでしょう。このときに、自分の映像的な知識のあまりの蓄積のなさにびっくりしたから。もう、あまりにも知らないですからね。当時は映画青年みたいなやつがそのままCMプランナーになっていたわけだから、だいたい打ち合わせがあると、「あの映画の冒頭のさ」とかから始まるわけよ。でも、僕、何も分からないんだもん。

小田嶋:やばいな、それは。

:根本的に足りないわけさ、映像が。結局、CMだって新しい映像を作るというのは、いろいろ観た映像の断片をもとにしているわけだから、観てないと何もできない。それでもう必死で観ることにしたわけです。

小田嶋:よくそこから。

:28歳からね。

小田嶋:初めて褒めるけど偉いよ、お前、「ロッキー」からここまで来たというのは。それ、40歳でJリーグデビューみたいなものだよ。

1年あれば追いつける

:それでまず高校のときに観て、退屈で寝そうになった小津安二郎をもう1回観たの。「東京物語」だったんだけど、それは幡ケ谷にあった小さな映画館で。泣きましたね。その場で泣いたんじゃなくて、帰ろうと思って幡ケ谷駅のホームに立ったら、何かが腑に落ちた。それで涙が出てきて、あ、やばい、俺、今、ホームで泣いている、と思って前を見たら向こう側のホームでも、もう1人泣いていた。

それ、おじさん?

:いやいやいや、当時の僕ぐらい、30歳ぐらいですよ。小津の映画って、その場で「かわいそう」「感動した」って泣くんじゃないんですけど、ものすごく深いどこかに刺さって、何か根本的に揺さぶられるんですよね。それから僕は小津安二郎を全部観て、そこから溝口健二とか成瀬巳喜男とかも観る、とそういうふうになっていくわけですね。

 それで日本映画をだいたい観たら、今度は外国のも観なくちゃということになるじゃない? そうやって観たら、外国映画の方が新鮮なんだよね。だって観たことがないんだから(笑)。それでまた外国映画をものすごくたくさん観て。でも、いい映画といわれているものって結局、邦画で100本、洋物でもだいたい200本ぐらいなんですよ。そのころはビデオも借りやすくなっていたし、だからマニアックなものを別にすれば、わりと短い時間に主だった映画を観ることはできるんだよ。

小田嶋:いわゆる名作というやつだね。

:意外と知られてないけど、1年ぐらいあれば、いわゆる名作というやつはほとんど観られるんです。しかも今の時代だったらビデオ・オン・デマンドもあるし、下手をすれば家にいながらにして、すべてを観ることがきる。だから広告を作る程度の映像的な蓄積なんていうのは、1年ぐらいで事足りちゃうんだよ。

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