濱野:そうなんです。対して、日本ではネット上でブレイクした歌手としてバーチャルアイドルの「初音ミク」が有名ですが、この例は象徴的だと思います。「初音ミク」は実在の人物ではなく、ネット上に存在する架空のシンガーですよね。もっと正確に言うと、あたかも人が歌っているかのような楽曲用の歌声を、ユーザーが自由に制作することができるソフトウエアに付けられた名前が、「初音ミク」です。初音ミクがデビューしたときは、直後から、「彼女」を用いた作品がニコニコ動画上に次々とアップロードされ、ネット界で大きな話題になりました。

小田嶋:ボーカロイドというあれですね。

濱野:日本では、生身の人間がネットで実名を出してデビューすることは難しい。しかし、「初音ミクを私はこうプロデュースしました」とか「初音ミクの楽曲を僕はこう作りました」ということであれば、活発なシーンが生まれて、みんな「初音ミク」の曲を買うわけです。つまり、「初音ミク」という媒介を間にかまさないと、ネットからはデビューもしづらいし、みんな曲を買ってもくれないんですよ。

 たとえば最近でこそ、「ニコニコ動画」からデビューして、「俺、自分のオリジナルで、がんがん曲を作りました。いい曲なので聴いてください」という人が出てきてはいるんですが、それでもやっぱりそういう人は、「初音ミク」なり、そういった共通のマスコットを介さないとデビューできない。ここにも、ある種の日本的な「世間」というか、「集団主義」の影響が垣間見えると思うんです。

コラムニスト 小田嶋隆氏

小田嶋:それこそ、「のまネコ」のときにすごい騒動が持ち上がりましたよね。あれはあからさまに商売にしようとした例だけど、誰かが儲けようとしている、という匂いがした途端に、ひどいバッシングが起きる。

※ 「のまネコ」をめぐる騒動=2ちゃんねるで愛用されていたアスキーアートによるキャラクター(通称モナー)を、レコード会社がアレンジして「のまネコ」と命名。著作物として商用に使用したところ、愛用者たちから大いなる怒りを買い、その圧力が効いて、レコード会社は「のまネコ」名義のキャラクター使用を中止した。

濱野:あれは、2ちゃんねる上で、みんなの共有物だったっところのモナーを、商業資本がパクろうとしている、ということに対する怒りでしたよね。2ちゃんねらーにとっては、ネットというものが共有知/共有地であり、その「コモンズ」が、彼ら彼女らの存在のベース、つまり基地になっている。そこに土足で踏み込まれた、という感覚があったのでしょう。

小田嶋:とは言っても、日本のオタクの人たちって、だいたい2次創作と言って、自分が作ったものではないアニメを元素材にして、それをアレンジして自分の作品を作る、ということをそもそも、ずっとやってきた人たちでしょう。

濱野:まさしくそうなんです。例えばある作品をニコニコ動画にアップする場合でも、完全に自分1人のクリエイティビティでやっている例はなく、元の曲なり、ネタなり、画像なりが必ずあったところにデビューしてきます。

小田嶋:だからやっぱり本歌取りの精神だよね。

濱野:まさにそうです。それがここ数年、ニコニコ動画などでは、創作の連鎖が「2次」に留まらず、3次・4次とどんどん派生していくので、私は「N次創作」と呼んでいます。日本のネット空間では、「1次」のオリジナル作品を発表することにはそれほど重点は置かれていないくて、「初音ミク」のような存在を介して、みんなで創作物を「コモンズ」的に共有するほうが、シーンが活発化するんです。

 ここで、冒頭にも出てきたビジネスのパラダイム転換の話題に戻りますと、日本ではこうした「本歌取り」というか、「N次創作」的なやり取りをベースにした金銭の再配分の仕組みがあれば、それはすごく普及すると思うんです。

 例えば誰かがオリジナルを発表し、それを2次・3次と利用して作品を作る人がいたとして、3次創作にあたる作品がバーンと売れたとしますよね。そうすると、まわりまわって1次創作者にもお金が還流されて、いくらかフィードバックされるというような仕組み。こうした「持ちつ持たれつ」の関係をきちんと制御できるシステムがあれば、それは普及するはずです。

音楽と活字コンテンツの性質の違い

小田嶋:文芸畑では、村上龍やよしもとばななが電子書籍にダイレクトにかかわる宣言をしたよね。その一方で、坂本龍一が自分の海外のコンサートを無料でネット配信します、と言いましたよね。物を書く人と音楽家の姿勢の違いが、そこにはすごくあるんだけど。

濱野:あの違いは面白いですね。

小田嶋:坂本龍一はたぶん、海外で音楽を作る人がネット経由でダイレクトにスターになるということを知っているだろうし、そういう自分のリソースというのに自信もあるんだろうし。

濱野:音楽はやはり国境を超えやすいですし、ネットから世界的なヒット曲が生まれてきていることは確かですが、実はネットから生まれた文学なり、小説なりの活字文化が、世界中で評判になったという事例はいまだにすごく少ないと思いますね。

小田嶋:それは音と文字の違いと同時に、きっと音楽と活字のコンテンツとしての性質の違いが絶対にありますね。だって音楽って、タダで山ほど配っても、あんまり価値を減じないじゃないですか。100人にタダで配ってそのうちの2人が買ってくれれば成り立つ商売だったりするのが音楽で、その場合は、宣伝費が節約できればそれでいいじゃん、という商売ができる。でもネットで活字をタダで配っちゃうと、誰も買わないんじゃないか、というのはちょっとあるんですよね。

濱野:コンサートに人が来る、という面は音楽にとって大きいですよね。

小田嶋:自分もそうだけど、音楽ってタダの音源で聴いたやつを気に入ったら、買おうかな、とも思うし、たとえそういうやつが少なくても、利益率の高さがあったりするでしょう。あと、繰り返して使用できる、という面も大きい。でも文章は、一度読んだらもう読まないもんね。

濱野:基本的にほとんどの人はそうですよね。

という意味で、作家・村上龍の目指す方向性というのは、ビジネス的にはいかがだと濱野さんは思われますか。

濱野:これは電子書籍系の議論になりますね。率直に言って、私自身は今、村上龍さんの良い読者でもないですし、電子書籍に関する研究もしていないので、ごく個人的な関心から話すしかないのですが……。ごく個人的な話で言えば、私が本を買う目的というのは、「本棚を作りたい」ということとイコールなんです。なぜ自分が本を買うか、というと、それは書斎を作りたいから、というのが私の答えでして。

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