濱野:根付って、今でいうケータイのストラップみたいなものですよね。ケータイの周辺で言えば、ケータイをデコる(デコレーションを施す)のも、デコメールとかも、みんなそうです。そういう装飾を日本文化は異様に発達させる。

小田嶋:遡れば『古今和歌集』の本歌取りもそうでしょう。

濱野:現代のデジタル領域では、まさにこういう細かい細分化がやたらと起きるわけですよね。音質にやたらとこだわるオーディオマニアがいれば、それに追随するメーカーが出てきて、もう普通の人には全く価値の分からない製品がどんどん出てきて進化する。まあ、何でもいいんですが、フィギュアだったらフィギュア、文学だったら文学、どのジャンルでも異様にオタク的な末端競争が起きてしまう。それは結局、日本文化に脈打っている「ガラパゴス化」の原動力になっている。それは要するに、日本がいまだに「世間」の力に縛られているからだと思うんです。

お隣りの中国、韓国はどうなんですか。

濱野:中国、韓国も、ヨーロッパ/アメリカ的な個人主義というか、人間主義のベースを持っているわけではありませんよね。ただ、日本ほど「世間」の力は強くなくて、むしろ「血縁」とか「家系」みたいなものの方が強く社会を縛っているといわれるわけです。

 ただ、いずれにせよ、中国も韓国も、そのうち日本と似てくるんじゃないでしょうか。「世間」が強いという日本社会の特徴は、別に「日本固有の文化」というわけではないと思うんです。要は、ヨーロッパ的な近代市民社会の伝統をベースにしていない社会は、多かれ少なかれ資本主義や市場経済が発展してくると、どんどん社会が流動化して、家族の絆とか地域共同体の結束とかが失われてくる。

 その代わりに出てくるのが、日本だとオタクだったりするわけですよね。それは別に血のつながりとか出身地域とかに縛られているわけではないけれども、ある種の趣味のつながりをベースにした「世間」になる。だとすれば、今後、中国や韓国で消費社会が発達していけば、日本と同じようなオタク的な「世間」の形成が進んでいくはずだ、というのが私の予想です。

オタクが日本特有の文化ではなくなってしまうのですか。

濱野:「日本には世界に誇れるオタク文化があるのだ」というように、私は単純には考えられないんです。ある歴史段階の中で、もともとは個人主義のベースを持っていなかったはずの日本人が、たまたま物質的に豊かになって、消費社会を異様に発展させてしまった。そのねじれの中に、「オタク」という人間のあり方というか、趣味をベースにした「世間」としてのオタクという文化集団が花開いた、という見方なんですね。

小田嶋:仏教にしても、中国で仏教が途絶えてなくなったところに、日本では空海みたいな人が現れて、がちがちにやっていった、という。オリジナルを作った人たちって、比較的簡単に壊しちゃうんだけど、それを学んだ人たちは力を込めて継承していくんですよ。

濱野:そうですね。

小田嶋:我々は訓詁学みたいなことで、文章の全体というよりは、末端のそのまた末端の一語一語にこだわりながら、ご本家の人たちが忘れたことを、ずっとやっていたりするんですよ。だから日本のアニメだって、韓国や中国のオタクさんたちが、ジブリの作ったものを、がちがちにコピーして、ちょっとチャイニーズ風味の混じったような不思議な混交物を作って、別の方向に行く可能性はもしかしたらありますよね。

濱野:全然あります。実際、ネット上のフラッシュアニメなんかではがんがん出てきていて、しかも私の感じるところでは、向こうも普通にレベルが高いんです。今の時代で言うと、中国・韓国の人たちの方が単純にやる気も興味もあるので、どんどんそうなるのかな、って。

小田嶋:今、アニマックスなんかのアニメを見ていると、エンドロールで流れてくるアニメーターの名前が全部、コウ何とかさんとか、リ何とかさんとかですものね。

濱野:そうですね。中国、韓国の方が多いです。

小田嶋:ほとんど日本人じゃないんですよ。

濱野:ここまでの話を受けて、またフェイスブックに話を戻すと、日本人というのは「個人」同士がつながるんじゃなくて、個人の境界があいまいな、なんとなく同じ趣味を持った人たちの「世間」に帰属したがるということですよね。だから日本では、やっぱり実名よりもハンドルネームの方が受けるんだと思うんです。

 実際、オタク的な人たちというのは、ツイッターやミクシィの上でマンガやアニメのキャラクターの名前を使ったり、そのキャラのアイコン画像を使ったりする。それは別に実名を使うのが嫌だからとか、顔を出したくないからというだけじゃなくて、その方がオタクという名の「世間」に入りやすいからなんだと思うんです。

 だから、もし日本で特有のSNSが出てくるとすれば、イラストSNSの「pixiv」じゃないですけど、「個人」ではなくて「キャラクター」が前面に立ったものなのかもしれないな、とは思いますね。

(いよいよ次回は最終回!)

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「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)

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