濱野:いや、正直に言うと、そこは分からないです。ただ実名登録が原則なら、それはそれで日本人は勝手に使い方を編み出していたと思います。たとえば、実名欄に全く実名を入れずに使い続ける人が続出するから、しょうがねえな、となって日本的な機能なりプラグインなりが付け加えられていく、とか。

 ネットサービスの特徴は、そうしたサービス自体が柔軟に変化していく点にあるので、そういう意味では、フェイスブックだろうが、ミクシィだろうが、大した違いはないんですよ。日本人の「世間」的なコミュニケーション作法が変わらない限り、いずれは同じ仕組みに落ち着いていくだろう、と。

今、日経BP社も含め、業界を挙げて「フェイスブック大歓迎!」みたいな流れになってきていますが。

小田嶋:ツイッターを牽制したいからじゃないの?

濱野:たしかにフェイスブックに期待する人たちがいるのも分かるんです。とりわけ「イノベーター層」などと呼ばれるような人たち、つまりインターネット上の新しいサービスにいち早く乗り出すことに、ある種のエリート意識を感じる人たちにとって、ミクシィやツイッターはすでに普及し過ぎていて、普通のつまらないサービスになってしまっている。だから新しいもの好きの人たちの中から、「だったら俺はフェイスブックを使う」という人が出てくるわけなんだと思うのですが、でも、それはおそらく「ミクシィ2」が出てきただけという話なのであって、フェイスブックが日本のネット界に革新をもたらす、ということではないと考えるんですね。

 現実的にはミクシィの側だってフェイスブックの興隆には抵抗するでしょうし、今、実際にミクシィはフェイスブックに追随するような新機能の追加を続けています。だから、日本中がフェイスブックで塗り変わるという事態には、あまりならないんじゃないかな、というのが正直な実感としてはあります。

濱野さんが「これなら使いたい」と思うSNSはありますか。

濱野前回もお話ししたように、SNS的なコミュニケーションは個人的に苦手なので、残念ながらありません。私個人の好みは、匿名的なネットサービスや、あとは「エバーノート」のような、基本的には「ソーシャル」的なコミュニケーション要素がなくて、どこまで行ってもひたすら自分が過去に集めた情報の蓄積しかなされない、「ライフログ」(=自分専用のデータベース)系のサービスなんですね。

小田嶋:自分の書庫を作る、みたいなサイトがありませんでしたっけ?

濱野:ああ、ありますね。「メディアマーカー」とか。

小田嶋:自分が読んでる本のリストを、「ほらっ」と世間に公表するのではなく、自分で自分の書庫管理をするみたいなやつね。

濱野:ああいうのは私も使います。書庫というのも、ある種アナログ的なライフログだったわけですよね。要するに私は、インターネットには匿名的か、あるいは個人的にしか関わりたくないんですね。「ネットひきこもり」みたいな感じかもしれません(笑)。

 それで、話を「世間」のテーマにちょっと戻してみたいんですが、「世間」というのは、決して悪いことばかりでもないとは思うんです。というのも、世界的に見て日本のものづくりや創造性が評価される分野においては、実は日本の「世間パワー」が強く働いているのではないか。

どういうことなのでしょうか?

濱野:たとえば、ここ10数年くらい、日本のマンガ・アニメが世界的に高い評価を受けていて、海外でもオタク的な人たちが増えてきている、という話がありますよね。いわゆる「クールジャパン」系の議論です。実はこれというのは、日本人のクリエイションの力がすごいというよりも、ある種の「世間」の力だと思うんです。

世間の力?

濱野:それはもちろん我々日本人を否定して言っているのではなく、ものすごくざっくりと日本という社会の成り立ちを歴史的に振り返ってみる、という話なんですが。というのも日本社会というのは、先ほどの小田嶋さんの話にもあったように、ヨーロッパ人なりアメリカ人なりが作った社会制度を表面的にはインストールすることに成功したかもしれないけれど、実際にはその構成要素としての個人が確立していないわけですよね。

小田嶋:だから日本社会では「世間」が跋扈する。

濱野:でも、そういう「世間」の相互監視が強い状態に置かれた人々が、ある種のアメリカ的な消費社会を受け入れて発展させると、その末端では異様に細かい競争をやりはじめるんだと思うんです。「世間」というのは要するに、非常に狭く流動性の低い世界の中で、非常に些細な違いにこだわったり、細かいルールを作って共有して守ったりすることですね。だから、ある種の異様なものづくりのパワーを生んでしまったりもする。

小田嶋: 要するに、ここでいう「世間」というのはいいかえれば「オタク」ということですよね。

濱野:はい。たとえばアニメも、もともとはアメリカでディズニーが作り出したわけですけど、日本に入ってくると、異様に小さなところを洗練させていくオタク的なアニメ文化が生まれる。今、世界で受けているという日本特有のアニメ文化というのは、その成果だと思うんです。

私たちは昔から、末端を磨きぬくことが、とても得意です。「根付」など、いい証拠ですよね。