「日経ビジネス電子版」の人気連載コラムニスト、小田嶋隆さんと、高校時代の級友、故・岡康道さん、そして清野由美さんの掛け合いによる連載「人生の諸問題」。「もう一度読みたい」とのリクエストにお応えしまして、第1回から掲載いたします。初出は以下のお知らせにございます。(以下は2021年の、最初の再掲載時のお知らせです。岡さんへの追悼記事も、ぜひお読みください)
本記事は2011年4月11日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
(日経ビジネス電子版編集部)
小田嶋隆さんと濱野智史さんの対談シリーズ、その3回目です。
今回は「2ちゃんねる」に受け継がれる「本歌取り」の伝統のお話から、若者がSNSにハマる理由と、「社内SNSで情報共有を!」という目論見がいつも失敗するワケについてお伺いしました。
驚きなのは、ツイッターとミクシィとスカイプと携帯電話を同時に使ってコミュニケーションするのが“普通”だという、小田嶋さんの息子さん(大学生)のお話。濱野さんによると、人間関係の微妙な距離感を、これらのツールを使って計っているのだそうです。“お父さん”には分からない、SNSのリアルな世界を語っていただきます。
(前回から読む)
以前、小田嶋さんがネットで詩を書く「ポエマー」たちを話題にしたときに、「詩人って本来は『ポエット』で、『ポエマー』じゃないでしょう…」と、つぶやいていたことが印象に残っています。今回はその辺りからお話を始めていただけるとうれしいです。
小田嶋:はい。その話はネットというよりも、「2ちゃんねる」の語法で言うところのエピソードですね。2ちゃんねるの人たちは、既出を「ガイシュツ」と言うでしょう。
濱野:そうですね、わざと。
小田嶋:誰かが間違えて、その間違いが面白いと、そこから先はみんなで間違え続けていく、ということをしますよね。
濱野:そうなんです。あれは興味深い現象ですね。
小田嶋:時々事情を知らない人が、これは「キシュツ」と読むんだよ、と言ってくると、「ネタにマジレス、カコワルイ」と、必ずお決まりのツッコミ、コール&レスポンスがあるんですよ。
叱責されてしまうんだ。
小田嶋:で、「2ちゃんねる」の楽しみって、まさしくそこにあって。
「言い間違い」共通の文化的基盤
濱野さんのようなインターネットの研究者にとって、「2ちゃんねるカルチャー」というのは、どういうものなのでしょうか。

1980年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院・メディア研究科修士課程修了。専門は情報社会論。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員を経て、現在は、インターネット関連コンサルタントの「(株)日本技芸」でリサーチャー。主にウェブサービスにおける情報環境の分析や、ネットユーザーの実態調査を行う。著書『アーキテクチャの生態系』で第26回テレコム社会科学賞・奨励賞を受賞。(写真:陶山勉、以下同)
濱野:これはネットに限らないのですが、ある種のコミュニティーなり文化的集団が形成されるときというのは、「僕たち私たちは一緒の場にいて文化を共有している」ということを確認するために、独自の風習を発達させるわけですよね。それが隠語だったり、ファッションだったりするわけです。
今までの、特にテキスト情報だけが中心だったインターネットにおいては、言葉しか自分たちのことを確認できるものがなかったわけで、そこである種の隠語というか、ジャーゴンをどんどん作っていくしかないわけですが、その特殊用語を作っていくとき、ネットで一番手早く、面白く使えるのは、何と言っても言い間違いの部分ですよね。特に漢字の読み間違いとか、スペルの間違いとかは、非常に共有しやすい。なぜなら、キーボードを打つ、打ち間違えるという行為というのは、ネットコミュニティーにとっては誰もが経験する共通の文化的基盤だからです。
小田嶋:それは「2ちゃんねる」に限らず、「ミクシィ」でも「ツイッター」でも、あるコミュニティーのつながり方と同じですよね。
濱野:はい。
小田嶋:その意味で、日本でのそういうつながり方が、アメリカなんかとちょっと違う形で動いている理由の1つに、日本語という言語のちょっと特殊なところがあると思うんですよ。
濱野:アルファベット26文字だけで成立している言語圏ではない、という要素ですね。
小田嶋:だいたい日本語の文化の中では、本歌取りみたいなことが、すごく好まれてきたでしょう、昔から。
濱野:まったくその通りですね。
小田嶋:江戸時代の人たちって、百人一首のパロディみたいなことを、延々とやってきて、それが俺たちにも受け継がれているでしょう。「三笠の山にいでし月かも」みたいな歌をちょっともじって言ってみて、それで笑ってくれる相手は、要するに「三笠の山にいでし月かも」を知っている人なんだな、という教養の確認ができるわけですよ。そうやって互いを測る、みたいな、ちょっといやらしいサロン文化みたいなものがずっとあって、「2ちゃんねる」も明らかにそれを引きずっている。
濱野:そうですね、引きずっていますね。
小田嶋:「俺」という一人称に「漏れ」を使うとかはそうですよね。それで、「もうその流行は去ったぞ」と言って笑う人たちもいるし、今来て、すごく得意になって使っているという人もいるし。
そこのところの言葉の流れの、旬なのか、終わっているのか、身内のジャーゴンとして今、いいのか悪いのか、ということをあそこの人たちはとても気にしますよね。
濱野:「2ちゃんねる」に限らないんですけど、取りあえず「2ちゃんねる」が一番強いというのは事実だと思います。私の考えでは、それは「2ちゃんねる」が匿名的な掲示板で、だからこそコピペ(コピー&ペースト)されやすいというか、「誰の発言か」ということがあまり気にされないし、気にしてもしょうがないので、名言がどんどんコピペ繁殖して広がっていくんですね。これがブログやツイッターだったら、「俺の文章を勝手にコピペするな!」と怒られてしまうのに、匿名だからそれがない。
小田嶋:匿名性があるからこそ、ジャーゴンに対する共感覚みたいなものが非常に 発達しやすいというか。「吉野家コピペはお前、知っているのか」みたいな、初心者にはお勧めできないみたいなことをふらっと文脈の中に混ぜてみて、これがパロディと分かっているのか分かってないのか、顔色をうかがうみたいなことをするわけですよ。
濱野:あと、どの会社にもあると思いますが、特に愛社精神が強そうなところほど謎のジャーゴンが多いですよね。はたから聞いていると、何話しているんですか? というような。
小田嶋:そうそう。
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