濱野さんはいつからネットにかかわるようになったんですか。

濱野:私自身はすごく遅くて、実はインターネットというものに触れたのは1999年、大学入学時からですね。

18歳ですか。

濱野:これも個人的な話なのですが、私は父親が大手パソコンメーカーで働いていたので、パソコンが家に流れ着いてくる、という状況が家庭にはあったんですが、私自身はプログラムをガンガンやる的なパソコン少年ではなかったんです。パソコンに触れるよりも先に、ファミコンにハマってしまったからなんですね。残念ながら私にとってのパソコンというのは、ファミコンよりもつまらないゲーム機にしか見えなかったんです。といっても、小学校低学年の頃の話ですけども。

 私より少し上の世代は、ファミコンが出る前にパソコンを買ってもらって、ゲームをパソコンでやって、例えば「シューティングゲームの機数を増やしたいからソースコードをいじろう」という裏ワザ的な動機付けでプログラミングを覚える、という非常に分かりやすい流れがあったんですが。

小田嶋:1984年にファミコンが出たわけでしょう。そこにハマったら、パソコンには距離が少しあったよね。

濱野:ありました。

小田嶋:俺はそれこそパソコン通信から入って、インターネットはまだ英語しか流れていないころに音響カプラーでつながっていたりしていたんです。

濱野:それは最先端ですよね。

小田嶋:一見、最先端でかかわってきたようなんだけど、でも、俺自身の実感としてはそうじゃなくて、今日びにいたるまで、どんどん特権を召し上げられてきたような感じがあるわけさ。

濱野:それは最先端にいた人としては、ということですよね、つまり。

小田嶋:いた人間としてはね。自分がパソコン通信をやっているころというのは、「パソコン通信をやっているんだよ」と言っただけで、ちょっと幅が利いた、みたいなところがあったんだよ。え、そんなすごいものをやるんですか、って。

濱野:なるほど。

小田嶋:インターネットだって、インターネットにつながっているだけで偉かった時代がしばらくあった。

濱野:言われてみればありました。

小田嶋:ホームページを持っていますよ、だけで、中身も見ない人に「すごい」と言われた時代があったわけだよ(笑)。それを全部奪われちゃったな、というのがね、今の私の正直な実感。

でも、別に特権が欲しくてかかわり始めたわけではないですよね。

小田嶋:特権が欲しかったわけじゃないけど、ちょっと得意げだったわけ。昔、セルモーターがなかったころは、クランクを自力で回してエンジンを動かしていたわけで、そういう時代に車に乗っていた人たちと一緒じゃないかな。

濱野:そうやる方が本式だし、渋くてカッコいいんだということですよね。

小田嶋:セルモーターなんかに頼って乗るようなやつら、と新規組をちょっと上からの目線で叱っているような感覚。

濱野:私は逆に、すごく遅れて入った側なので、上の世代の特権意識というのは非常に気にはなっていましたね。たとえば私の場合はブログのときにそれを顕著に感じました。ブログがどんどん普通の人も使うようになってくると、前からブログを書いていた人たちが、「最近のあれ、何?」みたいな、ちょっと上から目線になる。ブログが普及していくのは喜ばしいはずのことなんだけど、何も分かっていない新参者が入ってくるとすごくイヤそうな顔をする。どの世界にもあることとはいえ、インターネットというのはそれこそ常に新しいサービスが出てくるので、常にあちこちで「古参VS新参」みたいな構図になってしまう。

小田嶋:だから旧軽井沢族みたいな意識ですよね、我らは。

なるほど。

小田嶋:最近何か、軽井沢の追分の向こうに新しい別荘地ができて、何だか大衆化しちゃって嫌ですわねって、その感じですよ。

旧軽族と言ったって、会社の寮に滞在しているのに過ぎないのでしょうけど。

小田嶋:それでも旧軽族の嘆きとしては、何か駅前に変なショッピングモールのでかいのができちゃって、日帰りで軽井沢だなんて何事ですか、という気持ちだったんだよ。

(次回につづく)

(「人生の諸問題 令和リターンズ」はこちら 再公開記事のリストはこちらの記事の最後のページにございます)


「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)

この記事はシリーズ「もう一度読みたい」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。