小田嶋:このご本は、学者さんの本ですよね。

濱野:確かに会社での調査の仕事は、学者や研究者の仕事と似ている面もありますが、どちらかかというと大学時代からやっていたウェブについての社会学的研究が、『アーキテクチャの生態系』に繋がったという感じです。結果的には、自分が修士論文で書いた内容を、ですます調にした、みたいなイメージの本になりました。

「リサーチャー」というのは濱野さんの世界では普通の肩書なんですか。

濱野:いえいえ、全然。まったくそんなことはなく、うちの会社でも私1人しかいません。インターネット以外の業界、たとえば自動車とか食品とかであれば、事前にマーケティング調査をしてからプロダクトをつくるというのは普通だと思うのですが、インターネットはまだ歴史の浅い業界なので、何かを調べてからモノをつくるというのは珍しいことなんじゃないかと思います。

 それにアカデミックの世界でも、実はインターネットに関する社会学的研究というのは全然まだメジャーではないんですね。理由は簡単で、これも歴史が浅いからです。私も大学院の博士課程に行こうかどうか迷ったのですが、結局大学ではこういう研究をアカデミックなものとして認めてもらうのは難しい。だから、だったら在野でも十分研究できるなと思って、いまの仕事をしています。ネットに関する社会学的な研究をやってる偉い先生というのはほとんどいないんです。

小田嶋:新しい領域だから。本当はいなきゃいけないんだろうけど。

濱野:普通の社会学の先生は、いっぱいいらっしゃるんですけれどもね。

小田嶋:俺、この本を読んで、再発見させられたことがいろいろあったんだけど。最初に思ったのは、俺の見ていたネットの世界、その認識法って、何かファーブルとかその辺の感じだったんだ、と思った(笑)。

コラムニスト 小田嶋隆氏

『昆虫記』ですね。

小田嶋:目の付け所が俺はとても昆虫観察的で、フンコロガシという虫がいて、この虫はこうなんだぞ、みたいなことばっかり追いかけて歩いている感じだった。それを濱野さんは、それこそダーウィンじゃないけど、「生態系」として、修正、検証の上に、理由付けをしてくださった。

濱野:いや、私自身も全然ファーブル的というか、実はフンコロガシばっかり見ているようなタイプの人間でして。たとえばツイッターに関する分析はそれこそこの本に書いた「2ちゃんねる」とか「ミクシィ」とかニコニコ動画に関する話というのは、普段のネットウォッチングから得られたものなんですね。別に特別な調査方法とかは使ってなくて、かっこ良く言えばフィールドワーク的手法とか参与観察とか言えるのですが、要はネットに入り浸ってるだけです(笑)。

 私は小田嶋さんのコラムを普段から愛読していますが、アプローチの仕方が同じだなと感じていたんです。例えば小田嶋さんは「ツイッター」について、「特定の共有された『場所』ではなく、むしろ特定の関係を特定の立場から見る場合の『視点』に近い」と分析されていましたが、これは私が「ツイッターは選択同期である」と分析したのと同じく、まさにアーキテクチャに着眼されている分析だと思うんです。

 ただ『アーキテクチャの生態系』を書くにあたっては、そういう個別の昆虫観察とか生態観察に行きがちな自分の目線を、無理やり鳥の目線にして、鳥瞰視点でまとめたらこうなった、という感じです。

小田嶋:鳥観的な目線って取りにくいのよ、すごく。

濱野:実際には取りにくいです。ですので、私の場合は、俯瞰的な視点を取るために、無理やり日本とアメリカの疑似対決というか、国際比較という形でストーリー立てています。ただ、これは私が学者の道を選ばなかったこととも関係するんですが、大学では、研究者として日米比較なんかは堂々とやるな、ということを教え込まれるんですね。これまでの日米比較文化論とか、それこそ最近だとガラパゴス化の議論とかがありますけど。

小田嶋:学者さんって俗受けする議論を嫌うんだよね。

濱野:確かに「日本はガラパゴスだから」と言えば、だいたい何でも説明できてしまうという問題があるわけです。それでは実証研究としては失格です。ですからまっとうな学者の人は、ガラパゴス系の議論にはあんまり参加していないんだと思います。ただ、私はまさにその研究にならない部分が気になってしまう性格で、なぜ日本ではちょっと変なウェブサービスの生態系が出てきてしまうのか、そのメカニズムを突き詰めたかったんです。

 そういえば、小田嶋さんは昨年、ご著書で出されていたようですが…。(『ガラパゴスでいいじゃない』(講談社))