小田嶋:早稲田はね、とにかく人が多くて、群れて歩いているところがナニですね。だって構内を通ると分かるでしょう。晴れると渋谷のセンター街みたいに人がわさわさ歩いていて、大きな声で話さないと置いていかれちゃうのよ。

 で、そういう環境で大声で話しているうちに、自分たちはバンカラで、在野で、ダサくて、でも圧倒的に正しいよな、みたいな自己規定が生まれて、自分たちを「反権力」だと勘違いしていく。そこが俺、すごくヤなところなの。

何だか、ひどい言い分ですが、愛着の裏返しという気もしないでもないです。

小田嶋:まあ、だいたい慶應も含めて、ほかの大学の人たちは出身校に対して、もっとクールですよね。

コンプレックス万歳

:僕は早稲田、ということに、ある種の誇りを持っている。でも、実は大したことはないってことも、同時に分かっている。この矛盾を解決するために、早稲田にいながら、あるいは早稲田卒ながら、学歴コンプレックスを抱く、という方法が生まれる。

小田嶋:その対象は慶應ではなく、実は東大なんですよ。

:対象は東大、一橋大、京大です。慶応は仲が良くない兄弟みたいな関係ですよ。

小田嶋:早稲田のやつって、入ってからも、出てからも、偏差値を語ることが好きでしょう。東大に対するコンプレックスがあるから、校風として偏差値至上主義が出てくる。東大に落ちて慶應に行ったやつは、すてきな大学生活を送る中で、東大コンプレックスを解脱していくんだけど、早稲田は解脱できないまま、「そうはいっても、俺は偏差値が高かったんだからな」を、ずっと拠りどころにしていくんだよ。

:そういうコンプレックスを抱えつつも、人は自分にストーリーやブランドを与えることで安心を得て、空虚な生をやりきるものでしょう。親が金持ちでない場合、慶應だとストーリーにならないで、そのまま終わってしまうんだよ。だから早稲田に行って、オヤジになった後も、早稲田の話をずっと続ける。

小田嶋:それが、うざい、ということですよね。

確かに。

放浪編、場所を移して続きます。

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「人生の諸問題」は4冊の単行本になっています。刊行順に『人生2割がちょうどいい』『ガラパゴスでいいじゃない』『いつだって僕たちは途上にいる』(以上講談社刊)『人生の諸問題 五十路越え』(弊社刊)

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