あの件では、「戦争ラブな男とはHしない女の会」に関して小田嶋さんが反応し、ツイッターに流した揶揄が激しく炎上しました。

小田嶋:要するに、俺がマッチョをすごく大嫌いだというところと、フェミニズムの人たちがマッチョを大嫌いなのと、そこだけちょっと重なっていたから、両者にシンパシーがあるかと勘違いしていたけど、シンパシーなんかはなくて、俺には俺のミソジニーがあるだけだ、ということが分かった。

:何を言っているか、さっぱり分からないんだけど。

※ミソジニー:通常、「女性嫌悪」と訳される社会心理学の用語。上野千鶴子の著書『女ぎらい ―日本のミソジニー―』によって知識層に膾炙した。

小田嶋:フェミニズムの人が反応する言葉があって、それをツイッターなんかに乗せると、どんどん感情的な応酬に発展していって、聞くに堪えない、見るに堪えないひどい言葉が交わされるようになる。

 フェミニズムにもいろいろあるんだけど、フェミニズムの中の一番戦闘的な人たちの中には、ちょっとマチズモみたいなのがあって、絶対に相手を認めない姿勢が共通している。俺は戦闘的な態度というのは、根本的にイヤなので、その、フェミニズムの中のマチズモに、また反発しちゃう。

:キリがないじゃないか。

小田嶋:結局、分かり合えないわけ。その戦闘的なところもイヤだし、女性の女性らしさだったり、女性ならではの何かだったりするものに対する面倒くささというものもイヤで、俺はそういうものには一切付き合わないんだよね、みたいなのは心の中にがっちりあるわけ。マチズモとは別にね。

:要するに、何を言いたいんだ?

オダジマに帰る場所はあるか

小田嶋:マッチョ由来じゃない「ミソジニー」が俺にはある、と。ツイッターでもそれを指摘されて、うん、確かにあるかもしれない、と自分でも認めることができた。でも俺は「このミソジニーは絶対捨てないぞ」とか思っているわけだ(笑)。

自信を持って言うようになりましたね、小田嶋さん。

小田嶋:そうなんですよ。ちょっと開き直っちゃったところがね、自分でもどうだか、なんですけどね。

で、早稲田に対しても、小田嶋さんが言うところの「マッチョ由来でないミソジニー」があるということですか。

小田嶋:そうそう、早稲田に対しても、「早稲田ぎらい」といった感情を、ずっと抱いていたんですよ。

:話がようやく戻ったな。確かに、早稲田における多数派のやつの、うっとおしさというものはあった。

小田嶋:当時はインターネットも何もないし、田舎から東京というのは、物理的以上にものすごい距離だった。それで、青春ドラマとか、吉永小百合とか、さまざまな早稲田が田舎側には妄想のようにあったんじゃないかと思うんだよ。

:そうだと思うよ。田舎から来たやつは、早稲田幻想というのはすごく持って来ていた。

小田嶋:我々の在学中に、ビニール本というブームがあったでしょう。

:70年代のビニ本、ありましたね。

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