本記事は2014年9月11日に「日経ビジネスオンライン」の「人生の諸問題」に掲載されたものです。語り手の岡 康道さんが2020年7月31日にお亡くなりになり、追悼の意を込めて、再掲載させていただきました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

(日経ビジネス電子版編集部)

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「人生の諸問題・放浪編」。小石川に続く早稲田の放浪では、「早稲田とは何か」を解き明かしていきたいと思っています。第1回で、岡さんは「早稲田は故郷である」みたいなことをおっしゃっていました……でしたっけ?

:忘れないでください。しかも「故郷」ではなくて、「ある種の理想郷」ですよ、僕が言ったのは。

で、小田嶋さんが、「早稲田はうざい、慶應はキモイ」と、おっしゃっていましたっけ?

小田嶋:正しくはそれ、津田大介くんの言葉だったんだけどさ。

岡さん・小田嶋さんの時代は、両校のカラーが、まだ大きく違っていましたよね。

小田嶋:今は早稲田も女子学生が増えて、そういうのって、もうなくなった部分があるけど、我々が大学を受ける時分には、仮に偏差値的に慶應にも入れるよ、ということがあっても、慶應なんて肩身が狭くて行けたものじゃない、という感じがまだまだあったわけよ。

:あったね。慶應の方に失礼じゃないだろうか、みたいな。

小田嶋:だから、俺はそもそも受けていませんしね。

:受けない。だいたい、イメージが湧かないんだよ。自分が慶應に行くなんて、日本女子大に行くのと同じぐらいに変なことに思えたから。

そうなんですね。今日びの受験生は、早慶の両方を屈託なく受けていますけど。

小田嶋:昔は学校の地域性というものが、今よりずっと強かった。やっぱり小石川というのは、あえて言うなら早稲田だな、と。

地縁で感じるシンパシー?

:あえてじゃなくて、どう考えても、だよ。だいたい僕たちがいる方角から言って、まるっきりの都の西北だもん。放っておいたら、そのまま早稲田で、まったく無理はないよね。

小田嶋:地勢的にも、文化的にも、そうなる。

:日比谷高校はどうだったんだろうな。

小田嶋:日比谷は端的に東大だったんだろうけど、あそこは三田にすごく近いからね、だから慶應の方が自然じゃないですか。

:確かに。これが例えば両国高校だったら、「慶應? 頭がおかしいでしょう」と、やっぱりそうなっちゃうわけですよ。

小田嶋:うちのおやじなんか、早稲田とは縁もゆかりもないけれど、東京の北半分側の人間として、早稲田に対してのシンパシーがあるわけ。だからラグビーだとか、野球だとかでは、絶対に早稲田を応援していた。

対して、東京の南半分は、圧倒的に慶應ですよね。

小田嶋:東横線沿線から、日吉、湘南と、神奈川県な感じでしょう。早稲田というのは変なもので、何ていうんだろう、東京の西北側、および何となく下町風土、および労働者階級という感じがあるのよ。

:早稲田はある意味、開かれているわけですよ。慶應だって、もちろん受験の時は開かれているんだけど、早稲田みたいに、スポーツ選手とか芸能人とかを軽々しく入れようとはしないじゃないですか。

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