大隈さんって、今生きていたら何歳ぐらいなんですか。
岡:天保生まれで、今年176歳。(早稲田大学の前身の)東京専門学校を作ったのが、45歳ぐらいの時か?
小田嶋:福沢諭吉が慶應を作った時は25歳とかそこらだったんだよ。ということは、ジャニーズと一緒ぐらいだよ。「嵐」のニノとか、あの感じで慶應義塾を作ったわけだ。

(大隈講堂の前に正門。正門の右手、元・政治経済学部が大きなビルに建て替わっている最中。このエリアは、法学部、商学部、国際教養学部、教育学部と、文系学部が集まっている。並木道に、伝統ある建物が並んで、なんかいい感じ。)
岡:我々のころよりは明らかにいろいろきれいになっていますね。
小田嶋:早稲田はずっとサティアンっぽかったんだけど、今はこぎれいになってますね。まず、あの、タテ看がすっかりなくなっているじゃないか。代わりにアニメ絵ばっかし。
岡:この、重信公の銅像の周りなんて、もうタテ看の嵐だったでしょう。
小田嶋:タテ看のトレンドならここだ、ぐらいだったのにね。今日みたいに雨が降っているような、ほどほどの天気が、ここの景色はちょうどいいんですね。雨が降っていなくて天気がいいと、早稲田はとにかく猛烈な人だらけになって、センター街みたいなことになっちゃうから。
岡:この辺で昔、野球部のスター選手たちが昼飯のころに、うろうろしていたわけです。岡田だよ、とか、山倉だよ、とか。松本もいたでしょう。
小田嶋:岡田、山倉の時代か。安部球場が、そこでしたからね。
短大生、襲来
岡:当時は教育学部に体育専修学科というのがあって、それがスポーツ科学部の前身で。
小田嶋:そもそも教育学部の建物は、文系学部の一番奥にあって、だから教育学部は所沢に移転するんじゃないか、という噂もいっぱい流れた。
岡:そういえば、こっちの裏に演劇博物館ってのがあったよね。坪内逍遥の由来の。古いからもう、なくなっただろうね。
いや、ちゃんとありますよ。今も日本の演劇研究の殿堂ですよ。勝手になくさないでくださいね。
小田嶋:俺らのころの早稲田の教育学部は、入ってからの教育がたいしたことない、という点でも有名で、俺は教育学部に行ったのに、教職も取ってないし、第2外国語も取ってないという。
岡:そんなことってありなの?
小田嶋:教職は取らなくていいし、第2外国語も、取ることが望ましいと太字で書いてはあったけど、なきゃないでいいという方針だった。教育学部全体じゃないよ。教育学部の社会科学科だけ、そうだったのよ。
岡:教育学部といいながら、結構いい加減だよね。
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