:真田広之が演った「たそがれ清兵衛」(2002年日本映画。藤沢周平原作、山田洋次監督)も僕は泣きましたね。

どこで泣きましたか?

:ひそかに心を通じ合わせていた余吾(=藩主の跡継ぎ問題の決着に反対していた同藩の下級武士)を、藩命で討った。本当は逃がすつもりだったのに、2人の間の状況がにっちもさっちもいかなくなって、それで、余吾を切った後、ふらふらになって家に帰ってきたら、宮沢りえ(=役名は朋江)が待っていた、という。

粗末な家で宮沢りえが待っていましたね。

:あそこで待っているのかな、と。俺、こんないい女、知らないよ、と。俺の知っている女の人たちは、絶対に実家に帰ってるぞ、と。元妻はばかじゃないのという顔をして去っていきましたけど。どう考えたって、あれ、待たないでしょう。

待たない、と決め付けるのは女性の純情に対してちょっと失礼な気がしますが、というか、今、岡さん、間にすごく面白いことを言いませんでした? 妻は去っていったとか何とか。

:いやいや、何のことやら。

小田嶋:何を待っているの?

:だから、ふらふらになった真田広之を宮沢りえが待っていたんだよ!

小田嶋:はあ。

:あれは泣きましたね。あと、真田は心情を通じた男と一騎打ちをして生き延びたにもかかわらず、3年半後に戊辰戦争であっという間に死にました、という結末じゃないですか。そのはかなさというんですかね、武士の時代が終わったことのはかなさも含めてさ。

小田嶋:要するに、武士というものが組織の歯車ですよ、ということがとてもちゃんと描かれていますよね。

:そうなんだよ。

小田嶋:歯車であることに抵抗して戦うわけではなく、歯車のまま死んでいくことのむなしさ、というのがいいところで……。

:だから美しい歯車になっちゃっているわけだよ(笑)。

小田嶋:確かに藤沢作品は、そこでポピュリズムに陥らないところがいいんだよ。たいていの時代小説は、武士が死ぬと、そこで自己陶酔だったり、自己憐憫だったり、そういうナルシー方面に行くんだけど。

内蔵助の再就職プレゼン

:でも実際は、ナルシシズムを感じなければ死ねないですよ。

小田嶋:ナルシシズムもあっただろうし、一方には、死んだ人間をいつまでたってもみんなで褒め上げるという装置が、武家社会の維持には必要だったんだろう。忠臣蔵とか、白虎隊とか、あんなふうに犬死にした人たちを持ち上げることを何百年にもわたって繰り返してきたのは、そうじゃないとあの体制が持たないからだよね。

:あれ、白虎隊。あのとき会津にいた青年武士や少年武士は、「いや、俺はいいっすよ」とは言えない社会構造もあったわけだよね。あの時代に、あそこに生まれて育っちゃったら、成り行きで飯盛山に行って腹を切るしかないわけじゃない?

小田嶋:現場にいたら、すごい嫌な空気だと思うんだけど。

:だから運命に従う美しさを説かないと、体制は持たない。

小田嶋:男ばっかり50人とかの人数が集まっちゃうと、怖いって誰も言えなくなる。本来は怖いことを避けるための連帯なのに、怖いからこそ立ち向かうんじゃないか、みたいな、そういう背理が出てくるでしょう。

:男の理屈だね。

小田嶋:忠臣蔵も白虎隊も絶対に怖かったはずなんだけど、怖いなんていうことは俺たちの中では言いっこなし、という話になって、逆に、怖いからこそ俺たちは死にに行くんだよ、という。

:僕ね、忠臣蔵はもしかしたら、これは吉良を討てば、再就職オーケーというような計算があったんじゃないのかって、思うんだけど。

これまた新説が。

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