小田嶋:役所広司に思いを寄せていた元・島原の遊女さんがいたじゃない。その人と、後は仲良く暮らしましたとさ――というのは、あり得ないですね。

:それだと間抜けな話になっちゃうじゃないか。

「日本昔ばなし」ですね。

:それは困る。だからやっぱり死ぬしかないんだよ。

小田嶋:死ぬんじゃなくて、彼はどこへ行ったのか、その行方は杳として知れず・・・みたいな終わり方さ。この、落ち葉がふわーっと落ちているぐらいのラストシーンで。

今度はフーテンの寅さんですか。

小田嶋:そうそう、寅さんの映画って、枠組みがよくできているよね。寅さんという、ちょっとファンタジックな神話上の人物みたいなやつを一個置いておいて、それが時々現れては、周りをかき回して、どこかへ行っちゃう。それで、毎回、マドンナという人が物語を持ち込んで、40何作も撮れたというのは、ちょっとした発明だよね。

この似顔絵のオトコは誰なんだ?

:それで、小田嶋がメモに描いたその顔は誰なんだっけ?

平沼赳夫かなあ?

:そんなわけ、ないだろう。

注・平沼赳夫は衆議院議員。俳優ではありません。

小田嶋:「最後の忠臣蔵」に出てきたやつの顔なんだけど、俺、こいつの名前が思い出せなくて、後で確認しようと思ったの。ただ、この似顔絵がたいして似ていないところが我ながらちょっと問題なんだけど。

:それじゃあ無理だよ。

読者の方でお分かりの方は、ぜひご一報ください。で、話をもとに戻します。

小田嶋:そうね。岡が武士の映画から「プロジェクトX」のメンタリティを感じ取るということは、そこに登場する武士は武士でも、すごく近代人ということだよ。あのとき○○はこういうことをされて、こういう屈辱を受けたが、その屈辱を口には出さないのであった・・・とか、そういう感じでしょう。それって、もろに近代人なのよ。

:だからそれは藤沢周平の小説だよね。

小田嶋:それで藤沢周平以前の時代小説の主人公って、屈辱を受けると即、相手を切りに行っちゃうわけ。切るなり、切られるなりという、そういうことが武家の生き方だというところが、俺は感情移入できない。

誰に感情移入できないんですか。

小田嶋:だから武士にですよ。

:藤沢以前の時代小説にも感情移入できない?

小田嶋:うん。だってすぐに、相手を切るか、自分が切腹するか、みたいな話になって、命をすごく粗末にしているでしょう。その、命を粗末にすることが偉いという。

:潔い、みたいなね。

小田嶋:潔いとか、出処進退がきれいであるとかいう。それって、いまだに政治家が言っていたりするけどさ。

出処進退って、どういう意味なんですか?

:組織を辞めるときに多く使われるけれども、早いタイミングで自分から辞表をたたきつけて会社を去る、みたいな。

小田嶋:要するに腹の切り方の話ですよね。何か不始末を起こしたときは自分が責任を持って腹を切るよという、責任装置みたいなものです。「出処進退がきれいだ」ということをすごく潔いこととして、その潔さをもって武士道とする時代小説って、藤沢周平以前は多かったんだよ。でも藤沢周平は、そんなに人間って簡単なものじゃないぞ、と言った。最終的に腹を切るにしても、その間にすごく葛藤があったり、腹を切るということ自体がとてもくだらないことだったり、というところを描いた。

:藤沢文学をずっと貫いているのは、ある種の諦念ですよ。その、諦めの美しさなんだよね。そういう諦念がないと、サラリーマンだって長くやっていられないしね。

小田嶋:主人公はだいたい無口だからね。

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